2014/6/29 | 投稿者: 鹿苑院

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居合を始めて数ヶ月、やっと満足に斬れるようになった。オレは刀を四振所持している(祖父の遺品が三振、親戚の軍刀が一振)のだが、今日使ったこれが最も使いやすく感じた。四振の中で最も重いため重量で斬れる。重ねも厚いので簡単には曲がらない。
祖父の手による鞘の塗りは(祖父は塗師だった)写真ではわかりにくいが螺鈿だろうか、砂粒ほどの大きさの青い粒がチカリと光る。若い頃は伊達者だったという祖父のおしゃれさが偲ばれる。

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柄を巻いている鮫革が目に見える所に切れ目があるのが玉に瑕だと思っていたが、これは良い刀の証拠だと教えてもらった。安く仕上げようとなると短冊状の鮫革を両サイドから貼るらしいのだが、それではなくちゃんと一枚革を巻いているということを示すためにわざと切れ目を目に付く所に出しているものらしい。これを知ったらなんともこの刀が愛おしく思えてきた。

四振の中で最も優れた刀という印象を受けたので、仏法守護の四天王の筆頭・多聞天の名をこの刀の名前にすることにした。多聞天は毘沙門天の別名だが、北方を守護する神であり、北極星を守護星としてきた千葉平氏の血を引くオレにふさわしい。
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2014/6/26 | 投稿者: 鹿苑院

「影武者徳川家康」だったかに、家康は本当は短気だという意味の一文があったが、オレもそれに賛成だ。若い頃の血気盛んさは言うに及ばず、関ヶ原の一戦を見ても、気長な人は松尾山の小早川陣に鉄砲を撃ちかけたりはしない。

オレが見るに、家康は信長ほど短気ではないが秀吉よりは気が短いという気がする。信長、秀吉の天下が崩壊した後に老年になってから天下を獲ったので気長という印象を受けがちだが、それは単に状況が許さなかっただけのことではないか。例えて言うなら貧しい家庭に育った子は貧乏暮らしが好きなわけではなくそれを余儀なくされているだけのことで、本人の性格と外的環境は何の関係もない。

家康の癖として有名なものが二つある。一つは爪を噛むこと。もう一つは戦になると鞍を拳骨で叩き続けること。後者に至ってはそのために関節が固まってしまい晩年は指が曲がらなくなっていたという。これらも落ち着きのない短気な性格を覗わせる。

ただ、家康のすごい所は時々にじみ出てしまうとはいえ基本的には短気な本性を押し殺し続けた所にあるといえるだろう。あまつさえ「律儀な内府」とまで呼ばれ気長な人の代表格にまでされてしまったのだからすごい。その我慢を支えたのはあの三方ヶ原合戦後の凄惨な肖像画であったに違いない。

余談だが、オレは妹の態度の悪さに腹を立てて碁石を床に叩き付け、せっかくの那智黒石を割ってしまったことがある。瞬間接着剤で修復したが、それ以降は怒鳴りたくなる時にはその碁石を思い出すとふと冷静になれることが多い。この碁石がオレにとっての三方ヶ原戦役画像だと思っている。
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2014/6/24 | 投稿者: 鹿苑院

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サッカーW杯、アルジェリアに負けそうになった韓国のサポーターがアルジェリアの選手の顔に特注の巨大レーザーポインターを当てて失明させようとする事件が発生。

またかよ、とウンザリした。オリンピックやW杯、WBCといった国際大会で韓国はどれだけの問題を起こしてきたのか。なぜいまだにどの国際大会でも韓国が出場停止にならないのか。そして日本のマスコミはこれをどう擁護するのだろう? やっぱりこういう擁護しきれないことはなかったことにして総スルーかな。

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2014/6/23 | 投稿者: 鹿苑院

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長曽禰虎徹入道興里──。その作刀は近藤勇の差料として有名なため(贋作らしいが)、新選組関係の書籍にはよく名前が出てくる。そのためとにかく凄い刀鍛冶というイメージはあるのだが、虎徹その人の生涯を追った書籍というのはあまり無いため、よく知られていない。

この本も小説なのでフィクションはふんだんに混ぜてある。しかし鉄や鍛冶についての知識が相当にないとこの文は書けないし、虎徹という男の生き様の熱さはそれこそ鍛冶場に座っていると錯覚するほどの臨場感を持って伝わる。必要以上に越前康継が悪者にされているような気がするが、それを差し引いても刀剣好きなら読んで絶対に損のない一冊。
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2014/6/21 | 投稿者: 鹿苑院



日米レスリングサミットでの一戦。天龍は武骨一辺倒、サベージは派手なショーマンスタイルのため、この試合は噛み合わずに凡戦に終わるのではないかと思われていた。しかし蓋を開けてみたらこの日一番の名勝負になってしまったのだからプロレスとはわからないものだ。両選手のみならず、セコンドのシェリー・マーテルも実にうるさく憎たらしく、つまりヒールとして良い仕事をしている。一つ気になることをいえば、最後のパワーボムの時だけレフェリーのカウントが早過ぎるような気がするがこの名勝負の前には些末なことだろう。
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2014/6/19 | 投稿者: 鹿苑院

集団的自衛権に公明党が反対しているが、これを取り巻く各方面の動きがなんだかすごく違和感がある。中日新聞には公明党を指して「平和の党」と書いてあった。小沢一郎氏は「安倍自民に追従するのではなく公明党本来の平和の理念を忘れないでほしい」とコメントしていた。

…おいおい、いつから公明党は平和のための党になったんだ??

中韓の侵略が決して絵空事ではない今、集団的自衛権に反対する心理はオレには理解できないが、それはまあ議論の一つの意見として良しとしよう。ただ、それなら安倍自民とは最も重要な所で考えを異にしているのだから筋目として連立を解消して下野するべきだし、公明党が平和の党などと美化されるのはもはや噴飯物である。左翼マスコミは反日のためならカラスも白いと言うのか。
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2014/6/16 | 投稿者: 鹿苑院

沖田総司の愛刀といえば菊一文字則宗が思い浮かぶが、これは創作っぽい。なにしろその当時でも菊一文字は国宝級の代物。到底沖田の身分で手に入るものではないし、ましてやそれを刃こぼれしたり折れたりする危険を冒して実戦に使うなどとんでもない(「新選組血風録」ではその理由で沖田が使用をためらう描写があるが)。

本当のところ、沖田の愛刀は加州清光だったらしい。名前の通り加賀の刀工で、どういうわけか窮民収容所に住んだために「乞食清光」の別名もある。小説の主人公にしたら面白そうな人物である。

なお、東条英機首相の軍刀も清光の作だった。この刀は戦後、東条夫人の添え書き付きでお手頃な値段で売り出されたもののなかなか買い手が付かず、半年ほど店の棚でくすぶっていたらしい。今どこにあるのかはわからない。
余談だが東条がスキンヘッドなのは、軍刀で桜の木を切れるかどうかという賭けに負けたための罰ゲームらしく、その時は枝を一本切っただけで軍刀が折れてしまったらしい。まさかこの時の刀は清光ではなかろう…。
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2014/6/16 | 投稿者: 鹿苑院

テレビで、街行く人に「なんでワールドカップ見てないんですか?」とインタビューをやっていたらしい。見てない奴おかしい、みたいなそういう雰囲気だったそうだ。いかにも体育会系な同調圧力。応援しない奴は非国民とでも言う気か? 昭和の戦争と間違えてない?

オレはワールドカップもオリンピックもほとんど興味ない人間なので、こういう時期はいまいち話題に乗れずに不便な思いをする。真剣に見たら楽しいかもしれないけど、それならやっぱりいつもの新日本プロレスを見たいと思ってしまう。オリンピックの種目にプロレス(レスリングではなく)があったら見たいけど、無理だろうな…。
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2014/6/10 | 投稿者: 鹿苑院

「火天の城」という安土城築城を描いた映画のパンフレットがうちに転がっていたが、表紙に「信長、天下統一への最後の野望」と書いてあった。確かに結果的には安土城は信長の最後の城になったが、それが信長の最後の野望であったかと言われたらノーである。信長の最終目的地が大坂(現・大阪)であったことは信長公記に明らかだからだ。豊臣秀吉は大坂城を築いたがあれは信長の構想をトレースしただけで秀吉のアイデアではない。船での海外との貿易を重視すれば大坂が重要になるのは誰でも行き着く結論であるらしく、そのために聖徳太子も四天王寺を建立している。

信長の生前、大坂の地には石山本願寺があった。信長は最初は(やや横柄な態度ではあったものの)平和的な明け渡しを本願寺に要求したが、本願寺がこれを拒否して一向一揆を扇動し対決姿勢を見せたために十年戦争に突入していく。
本願寺門徒にあるまじき見解かもしれないがオレの意見としては、この時におとなしく明け渡して好きな所に替地をもらえば良かったのではないかと思う。キリシタンの真似をするわけではないがそうすれば信長の力を背景に布教することもできたのではないか? それを拒んだばかりに十年も戦って数万人単位の門徒の屍を積み上げた挙句、結果的には石山本願寺を守り抜くこともできず明け渡しているのだから。

ともあれ、信長は本願寺との戦いに勝利して大坂の地を手に入れることには成功したが、そこに築城する前に本能寺の変が起きて死んでいる。もしそのまま長生きしていたら大坂城を造っていたことは疑いない。
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2014/6/9 | 投稿者: 鹿苑院

月曜日だというのに地下鉄の中では赤い顔をした酔っ払いがいて不必要なほどにデカい声でしゃべっている。こういう時、人は「酔っ払ってるんだからちょっと騒ぐくらいしょうがないよね」で許してしまうものだが、よく考えるとこれはおかしい。

酔っ払いに対するダブルスタンダードが日本にはある。酔っ払った上での多少の狼藉は「酔っ払いだからしょうがない」で許されてしまうが、一方で飲酒運転で人を轢いたらしょうがないどころか素面で人を轢くより罪が重くなってしまう。どっちだ、どっちなんだ。酒に酔った上での失敗は罪が重くなるのか、それとも軽くなるのか?

酔って電車で騒ぐことをしょうがないで許してしまうなら飲酒運転で人を轢いてもしょうがないで許さなきゃ辻褄が合わないし、「飲酒運転は犯罪です。一発で免許取り消し!」というなら電車の中で騒ぐ酔っ払いは素面で騒いでいるバカ学生より重い罪に処されなければおかしい。

どうせよ、という訳でもないが素朴な疑問として挙げておく。
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