2013/10/10

西鶴一代女  メモ

西鶴忌新地に北と南かな(井原西鶴著「好色一代女」を読んで観る)

「好色一代女」は井原西鶴の四十五歳の時の作品であり、西鶴の一番あぶらの乗り切った時期に書かれたものである。
三年前に書かれた「好色一代男」の荒唐無稽さに比べると地味な作品ではあるが、その代わり当時の風俗が一代女を通してよく描かれている。
「一代男」が世之介という主人公の冒険譚であるのにたいして、「一代女」では主人公の女の名すらない。(映画では「春」という名になっている。)これは「一代女」の一人の人物を描くことが目的ではなく、当時の風俗産業?のあれこれを描き出すために便宜的に一代女の口を借りたに過ぎないと思われる。
当時の江戸、大阪、京都などの大都市の風俗の様子よく描かれている。
主人公の女ははじめ都で官女として仕えていたが早熟な恋心ゆえ宮中を追われて流転の生活がはじまる。
彼女は生きてゆくために自分の魅力を最大限に利用しようとする。
それは当時女性が独立して生きてゆくことの困難さを体験するものでもあった。
彼女は二十八の職業につくがそのほとんどがセックス産業であった。
それは『女性のために正当な職場が用意されていない時代、独立して生活せざる得ない立場に立たされた女性の悲劇』(新潮社刊「日本文学小辞典」)である。

この作品が溝口健二監督の手で「西鶴一代女」として映画化されたのは昭和27年である。
この年は黒澤明「生きる」小津安二郎「お茶漬けの味」新藤兼人「原爆の子」など後世に残る名作が次々に作られた年であった。
この時、溝口健二監督はいまだ戦後のスランプの中でこの映画を撮ることによりスランプを脱しようとしていた。
この映画は国内ではそれほどの評価を受けなかったが海外で高く評価されサンマルコ銀獅子賞を受賞した。
主演の田中絹代は当時43歳で、この映画のはじめの部分の娘役は少々無理があるにしても話が進むにつれて演技が光だし、後半部分の島原の花魁や夜鷹の演技また主人に復讐する女髪結いなどドロドロとした女のサガを見事に演じている。

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2013/5/7

「さび」という美意識  メモ

「さび」という美意識

花守や白き頭を付きあわせ     去来
    師曰く「さび色よくあわれ、悦候」と。 去来抄より

向井去来は師芭蕉の指導によく従い、その人柄から「西国の俳諧奉行」あだ名されたが、俳句作品そのものは其角や嵐雪の句に見られるような華やかさにかけていた。しかし、蕉門を考えるとき『去来抄』や『旅寝論』を記し、芭蕉の生の言葉を後世に残した功績は大きい。要するに芭蕉の俳諧理論の実質的な後継者であった。
掲句にたいする芭蕉の言葉はそのことをよくあらわしている。
花守の老人が白髪頭をつき合わせながら語り合っている。一見それだけの句であるが爛漫たる桜と老花守を配したところに一句の情緒の閑静な趣が生まれ「さび」の心が現れたと芭蕉は言った。
では「さび」とは何であろうか?それは芭蕉の俳諧理論というより日本を代表する美意識の一つである。

古池や蛙飛び込む水の音      芭蕉

世界一有名な俳句であると思う。
この一句によって芭蕉は「さび」の精神を構築したという。句意は明瞭であるが十七文字の世界に風景と音、そして世間を超越して俳諧に打ち込もうとしている作者の姿を表現しえた傑作である。
芭蕉の俳諧理念を「中世文学の終着駅」と市村宏氏(東洋大学名誉教授・平成元年没)は表現され著書『中世・近世文学史』の中で「あわれ・幽玄・余情として継承された日本文学の伝統的理念の上に俳諧文学を置いたのが蕉風である」といわれた。
王朝文学が貴族を中心としたサロン文学であったのに対し、中世の文学は隠者の文学であった。それは、西行の和歌や鴨長明の「方丈記」のような随筆にみられるように、宮廷から離れた自然の中に身を置く事により生まれたものである。しかし、そのような態度もただ世を儚んで出家遁走するのではなく、そうした生活の中から生まれてくる「もののあわれ」を表現しようとしたものである。
世事に煩わされない安心感と、その反面から生まれてくる孤独感を言い表した言葉が「さび」である。
これは同時代の西鶴や高政にはなかった文芸思想であるが、残念なことに芭蕉の後近世の俳壇には蕪村が生まれるくらいで蕉門の俳壇は衰退の一途をたどる。俳諧は市井の宗匠俳句におちいってしまい、明治の正岡子規、高浜虚子の登場を待つこととなる。


2012/10/24

薫り  メモ

薫り

春は梅
夏は夕立
秋は木犀
冬はストーブ。


2012/5/6

クリームシチュー  メモ

昨日かなり酔っ払ってクリームシチューを作った。
飲みながら作っていたのだが、最後にはワインをらラッパ飲みしていたような気がする。

妻が帰ってきたのは覚えているのだが後の記憶がない。

気がついたら布団の中にいた。

くわばらくわばら・・・。

夏に入る知らぬが華という事も  自句


2011/2/28

どこにも無い場所  メモ

どこにも無い場所

夢でよく行く場所がある。
私が生まれた家の壁の向こう側にある隠し部屋。
隠し部屋は現実には無いし、過去在ったことも無い。

隠し部屋は薄汚れていて長い間人の入った形跡もなく
古いが頑丈そうな調度品が埃だらけになっている。
そこですれ違う人たちは、もうこの世の者でなくなった人たち。

時々、ふと写真で目が合ったり、
思い出話だけの登場人物になってしまった人たち。

きっといつか私もあの隠し部屋に住むのでしょう。
ただの影となって・・・。
誰かの心の中の音となって・・・。


                   by・修司



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