X平成17年 愛・地球博(自然の叡智)の年にAOLダイアリーで「趣味のブログ」をはじめました。AutoPageが進歩しますように。X
X(挑む!)新丸山ダム木曽川導水路完成を。 / 中京の愛知・岐阜に首都機能移転を♪ / 『ものつくりイノベーション』を。X
X喜望峰の国で日本の「走るサッカー」は開花した。祝ロシアW杯開幕♪(日本はアフリカ開発会議(TICAD)主催国です。)X
X『1959.3.10ラサ蜂起』等の『人権犠牲者』を悼みます。 / 西域シルクロード東西文化の融合寛容大東文化発展。X
X支那(キタイ)北京(カンバリク)五輪と08憲章 / 復興オリンピズムTOKYO●2020! / (来々2026年)札幌五輪。X
X東京・三多摩横田飛行場鉄道物流を結びつけよう。 / 国際ハブ港をめざす横浜港の新しい南本牧ふ頭にメガシップ寄港を。X
X(風車のOPEN YOKOHAMA)「横浜開港の精神」を継承し、「愛市の鐘」の「環境都市横浜」を作ろう。X
X日本海(Sea of Japan)側の新潟県 越後妻有では、3年ごとに大地の芸術祭が実施されます。X
X「極限環境」の岐阜県 東濃研究学園都市の隣、花フェスタの可児市可児柿田流通・工業団地を分譲中です。X
X勤労青少年の日は毎年7月第3土曜日です。(平成30年標語)「今日の汗 明日の笑顔の 架け橋に」X
X(人間開発は基礎)『ヒューマンセキュリティー』によるセーフティーネット(安全網)を維持しましょう。X
X雇用支援機構アビリティ、能力開発セミナー生産性向上支援訓練求職者支援訓練を実施中です。X
X(65歳定年制導入を!)「雇用の正規化」は国民生活を安定させ、多くの社会問題を解決へと導きます。X

2016/4/29  20:27

昭和時代はほろ苦かった♪  自我(エッセイ)
 今日は昭和の日、昭和のことを思い出しています。
 こういう日に国営昭和記念公園に行って散策すると楽しいのでしょうけど、いまだに美濃におりますので…。

 最近父のイメージが少し変わってきています。
 真面目な人であったし立派な人でもあったと思うのですが、少し前に若い頃の写真を見て「こんなに生意気そうな雰囲気だったかな」と思いました。

 それで思い出しました。
 父は戦前の人らしく立身出世を考える人でした。
 努力も惜しまない人でしたが、思う地位が得られずイライラしていることがたびたびありました。
 家庭内暴力は一切なかったですが、ひじょうに怒りっぽい人でした。
 晩年の落ち着いた雰囲気は若いころはありませんでした。

 暴力塾に行っていた時は、外で暴行され家に帰ると怒りっぽい父がいるという状況でした。
 あの頃はあの穏やかな母も怒りっぽい状態でしたから。
 スパルタ教育のカルトが支配していた時代でした。

 父はかつての神奈川県の公立高校200校計画をよく批判していました。
 特に私の前でよく言うのです。
 今考えると、公立高校200校計画で学区が変わったため私をとんでもないめにあわせてしまったと考えていたと思うのです。

 私の学区が変わることに同意した時、市の有力者と親戚に頼まれたからとはいえ、やはり「ここで恩を売って損はない」という気持ちもあったと思います。
 若かった自分の失敗だったと考えていたのかもしれない。

 「横浜日野高校に特別な気持ちがあったのではないか?」とも思うのですが、それはわかりませんでした。
 高校で成績が下がって部活をやめさせようとする母に、思いとどまるよう言ったのは父でした。
 私は…高校を出て進学するにせよ就職するにせよ、暴力塾で体を壊してから年に30日は休まないと学校に通えない状態を解消しないといけませんでした。
 休みが20日代なら少ない方で、たいたい30日を超えていました。
 小学校で学校の水泳代表になっていて、マラソン大会の成績もよいのに休みが多かったのです。
 丈夫な体がどうしても欲しかった。
 社会人になって30日も休めないですから、高校時代にそれが得られて大学時代はほとんど大学を休まず毎日のように通っていた。

 社会人になって無理をすると大病をすることがあるが、休むことは少ない。

 高校時代に一番欲しかったものは得られたのかもしれない。

 ただ…楽しんで勉強できる環境がほしかった。

 昭和時代はほろ苦かった♪ 

【PR】1.持続可能な開発 / 戸締り用心火の用心
2.自由の鐘〜自由を宣言する、全土と全民に〜
3.TATIAGARE! / 復興!がんばっぺ日本!

0
タグ: 文人 労働 聚楽

2016/4/28  2:50

土岐市で交通死亡事故があったらしい  日日(I love one day)
 土岐市で数日前に交通死亡事故があったようです。
 場所は土岐インターチェンジ近くのサークルKの周辺、私も使うことがあるコンビニエンスストア周辺です。
 道路を横断中の歩行者がはねられたとのこと、近くに達するまで自動車が気がつかず大惨事となってしまったようです。

 最近、東濃研究学園都市への企業誘致が進んでいるのは喜ばしいことですが、私が来た4年前と比べ明らかに交通量が増えています。
 他のところでも昔からの生活道路の感覚で横断しようとする人がいて、「危ないな」と思ったこともあります。
 もちろん私もさらに気をつけますけど、交通量の増加対策が必要な感じはします。
 土岐市駅前の交差点近くでは横断歩道が老朽化し、信号のないT字路で危険なので信号機がつきました。
 きちんと対策はとられているのですが、追いつかない感じなのです。

 最近は毎日のように土岐市から多治見市に向かう国道で渋滞がおこっているのですが、4年前はあんな感じではありませんでした。

 困った状況になっているのかもしれないと感じています。

【PR】1.持続可能な開発 / 戸締り用心火の用心
2.自由の鐘〜自由を宣言する、全土と全民に〜
3.TATIAGARE! / 復興!がんばっぺ日本!

0
タグ: 日記 記録 感想

2016/4/24  17:09

交通事故を再現するような状況に出合った・・・  日日(I love one day)
 今日は体調が悪く遠出はできないが、市内の温泉にでも入ってこようと思い出かけてみたら、先日の交通事故を再現するかのような状況に出合ってしまった。
 小さな交差点付近に逆方向から来た車が停車していた。
 どうも知り合いに会ったらしく夢中で話をしていた。
 どいてくれそうもなかったので、中央付近に停車・・・ちょうど右方から車が来ていたので、通過するのを待ってから行こうとしたが、待てどもやって来ない…脇道にでも入ったかと思い少し首をひねりながら車の頭を少し出したらいなかったので、そのまま前に出たら10m弱ところにいた。
 どうも相手は交差点に常識ではありえない停まり方をしている車がいたので、警戒して徐行してきていたらしいのだ。
 そのため事故はおきなかったが、こちらは電柱に阻まれ相手の姿が見えないので推測で出ていたので、少しいけなかった。

 帰りに相手の車が来た方角から確認したが、相手の車は私の車の真ん中から後ろがよく見えるのである。
 警戒していた相手の車のおかげで助かった。
 しかし自分もこの間と同じ状況だったので警戒していたのに、それでもヒヤリとするめにあった。

 どうも中央というところは想像以上に視界がきかないようだ。
 今回は左方の車が完全に停車し自動車も軽自動車であったので、左方は完全に見ることができた。
 しかし右方はふだんから電柱が邪魔になりあまりよく見えない。
 通常の位置に停まっていればもう少し遠くまで見える、しかし中央であったため相手は影に隠れてしまいまったく見えなかったのだ。
 
 ああいう時に絶対に事故を避ける方法はないのだろうか?
 今回は相手が前方交差点の異常事態に気がつき徐行していた。
 私も警戒して前に出た。お互いに気をつけていたから事故にはならなかった。

 しかし…もし相手がスピード超過、注意散漫、居眠り運転等をしていれば一気に来てしまう。
 自動車運転に「絶対」はないのだろうか?

 アイルトン・セナも交通事故で死んだ、私とは比較にならないが世界一のレースドライバーであっても事故はおこす。
 そうしてみると運転に絶対はないのだろうと思った。 

【PR】1.持続可能な開発 / 戸締り用心火の用心
2.自由の鐘〜自由を宣言する、全土と全民に〜
3.TATIAGARE! / 復興!がんばっぺ日本!

0

2016/4/23  1:52

東日本大震災の時に九州は被災地を助けた  自我(エッセイ)
 今でも思い出す、東日本大震災の時に私はtwitterを使って必要な情報のリツイート等をしていたが、ある日思いがけないツイートがあった。

 たしか…「今お台場だ、おびただしい数の輸送車両が集結している、ほとんどが九州ナンバーの車だ。」というものでした。
 その後しばらくして、実際に生鮮食料品を中心にたくさんの支援物資が続々九州から被災地に運ばれていることを知った。

 これは国からの支援要請と自主的な判断により成し遂げられたものだと思う。
 おそらく内航船を使って九州から東京港まで物資を運び、そこからトラックを使って被災地へと向かったものだと思う。

 当時、被災地へ向かう補給基地はまさに都だった。

 今回の熊本については、西南戦争では大阪鎮台が熊本鎮台へと向かう補給基地となった。
 大阪におびただしい数の兵士と物資が集められ、九州へと向かっていったのだ。
 その指揮をとったのは都にいた大久保利通でした。

 東日本大震災のような壊滅状況ではありませんが、大阪の役割が今回はひじょうに重要だと感じています。
 もうすでに2万5千人もの自衛官が九州へと向かっております。
 これは陸自第8師団だけの人数ではないので、いかに素早く全国の自衛隊員が動いたかということだと思います。
 東日本大震災の時の規模を超えており、ひじょうに驚きました。

【PR】1.持続可能な開発 / 戸締り用心火の用心
2.自由の鐘〜自由を宣言する、全土と全民に〜
3.TATIAGARE! / 復興!がんばっぺ日本!

2
タグ: 清流 労働 聚楽

2016/4/22  3:00

高校時代は「努力」ということばが大嫌いだった・・・  自我(エッセイ)
 高校の時は「努力」ということばが大嫌いでした。
 中学の時は大好きだったのですが、学区外という壁の中で負けてもいないのに負けるという経験で、何か虚しくなってしまったのです。
 意味もなく反発した生き方をした高校時代だったなと思います。

 しかし競争ばかり考えていた中学時代と違い、競争が大嫌いになったことで人間性がよくなったような気がします。
 通った高校にもっと名誉を持つべきだった。
 「真面目」な校風を大切に考えるべきだった。
 そんなふうに今は思う。

 高校が他校との統合により校名が消滅したので、はじめて母校がかけがえのない存在と感じられた。
 團伊玖磨さんの校歌も最近はなつかしい。

 実はよいものを見つけていたのかもしれない。
 三井寺に行って円珍様が「努力」ということばを好んだことを知り、こんな歳になったがまた「努力」ということばを好きになろうかなと思った。
 癖のある性格は直りませんけど。(笑)

【PR】1.持続可能な開発 / 戸締り用心火の用心
2.自由の鐘〜自由を宣言する、全土と全民に〜
3.TATIAGARE! / 復興!がんばっぺ日本!

0
タグ: 自己 労働 聚楽


AutoPage最新お知らせ