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2007/7/31  22:03

7/30は準国恥記念日というところかな?  自我(エッセイ)
 予想どおり対日批難決議は可決されましたが、何ともさえない決議だったそうです。産経新聞によりますと、議場が10人程度になったところで、ラントス下院外交委員長と×××議員が演説をし、だれた雰囲気の中、共和党の一議員が賛成演説をし採決、そして可決されたということです。
 可決されたことは事実ですので大変遺憾ですが、最初こそ下院議員総数435人のうち167人が共同提案者となったものの、最後は10数人しか残らなかった、最初の案で、韓国政府のロビー集団ではなく本体が出てきて、「対日制裁案を入れて欲しい」とごねたそうですが、それは通らなかったということです。
 もっと早く報道してほしかったと思います。残念な敗北だと思います。
 韓国人が今アメリカで評判が悪いのに対し、日系人が評判のよいことにも救われました。

 いくつか調べたみました。どうもいろいろな情報が入り混じって難しいのですが、慰安所は当初、上海で海軍が飲食店などを接収しそれを慰安所といっていたそうです。その後陸軍が南京で遊郭のようなものを作ろうとしたのがはじまりのようです。
 理由は南京や上海のような大都市を、若い兵士が歩きまわることで治安の悪化を恐れ、軍と民間人を隔離することに目的があったようです。
 軍政当局が営業許可した民間の遊郭というのが相場のようです。
 このあたりいかにも幕府的発想ですが、完全に欲を抑えつけるのではなく、少し解放することで不満を抑える目的であったようなのです。
 江戸時代、出島のオランダ人を島原の遊女に接待させたのにも似ています。

 ですがどこにいっても遊郭のようなものは作れるわけでなく、それはその商売のノウハウのある人がいる、都市に駐屯している部隊に限られ、それ以外はどう見ても集会所であったようです。都会的な雰囲気を作れないからです。
 慰安所といっても、その経営主体は商人であったことが、別の文書で「儲からなかったから閉鎖する」という表現に見えています。石川達三先生の見たものも、民間業者の運営を軍が許可し、経営者の要望で中国女性の安全を憲兵が守っていたのだと思われます。
 軍票でお金を払っていますから、性奴隷ということではありません。
 性奴隷とは、お金を払わないでなぐさみものにすることです。
 南京や上海のような大都市に、長期に軍を駐屯させる中、軍の規律を守り外国であるために国内のような娯楽がない中、日本の遊郭に近いものを作り士気を維持させようという考え方だったようです。中国と日本の遊郭商人を手なずけることができ、一石二鳥だったのでしょう。
 ただこのようなことは危険な癒着を生み出します。
 純粋な若い兵士の心を傷つけ、悪徳業者と一部軍人との癒着を招く温床となったようですが、悪徳業者が動きまわれば、間に危険分子が動きまわり、それを軍隊が取り締まるものの、悪徳業者と癒着していた軍人がおり取り締まりきれなかったように思うのです。
 石川達三先生も南京だけ見ただけで、すべての慰安所がそうであるとは書いていません。軍事物資や食料も不足する中、遊女などやたらに送れるわけではないからです。
 それに外地ですので、日本のようなわけにはどうしてもいきません。

 南京や上海はともかく、軍の威信を守ることを気にしていたところをみると、やはり一般的には集会所のようなイメージなのではないでしょうか?そこに働く一般女性を集めていたのではないでしょうか?その中にプロの娼婦が混じり売春宿になることを怖れていたのではないでしょうか?従軍看護婦たちや一般中国人もいる中、あまり無茶なことはできなかったと思われるのです。

 結局、戦後の一部指揮官の証言からも、多目的に使っていた様子が見えるからです。

 いずれすべての真実が明らかになるでしょう。「冤罪は千年たってもはらす」気持ちが大切だと思います。天皇陛下も配流されたこともある隠岐を自国領などと、自国民に宣伝し石碑まで立てる韓国の話です。両国民もすべて真実とは考えていない話だと思います。
アメリカ人の事情がわかれば信じない話だと思います。よほどの人種主義者を除いてですが・・・一般のアメリカ市民に忍耐強く呼びかけ、説明していけばよいと思います。
 幸い日系人の評判がよいので、「誠」を大切に忍耐強く説明していけば、いずれは日本人の誠実さがアメリカ人にもわかっていただけると確信しております。

 日本もこれまで中国や韓国に謝罪し続けて、嘘の自白までさせられて、日韓基本条約とそれに伴う経済援助で充分賠償もして、これ以上何が必要だというのでしょうか?同じことを何度も繰り返させればいずれ日本人の怒りが爆発します。現段階でもイメージが悪い行動であることを理解すべきだと思います。平和を愛する日本国民の努力が無駄になります。いい加減な反日教育は自粛するべきだと思います。日本の豊田有恒先生らの友好努力も利用しただけでしょうか?「嘘の友好」しか追求する気持がまったくないのでは話になりません。

若い頃の豊田有恒先生も言っておられますが、「韓国人はたびたび感情が爆発するので油断しているが、日本人は滅多に爆発しないものの、爆発しだしたらどの民族も驚くほどすさまじい、それは日本に多くある火山の大爆発のようである!それに多くの韓国人は気づいていない・・・」という懸念を忘れてはならないと思います。

 全米日系人博物館というものがあるようです、どのようなものかわからず保証はできませんが、ホームページからは重要なメッセージが感じられたので、リンクを貼っておきます。日本人迫害が再びアメリカでおこりませんように。

 http://www.janm.org/jpn/main_jp.html
 (全米日系人博物館)
 
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2007/7/31  6:08

「負けて日本は強くなる!」(アジアカップサッカー)  心気体(フィットネス)
 日本は残念ながら四位に終わりましたが、負けた以上に成果の大きかった大会であったと思います。日本が大戦中オランダ軍を打ち破ったバレンバンだったようですので、ぜひ勝たせてあげたかったですが、いたしかたのないことだと思います。

 日本の今の実力ではあんなものでしょう。フォワードが決められなかったといっても、相手チームも決めていないので能力に問題があるわけではありません。
 得点はチーム全体でとるもので、フォワードだけがとるものではないからです。
 欲を言えば、フォワードにもう少し前に出る気持ちがあって欲しかった、また中盤の攻撃的選手にもう少し得点意識がほしかったと思います。

 韓国戦は私としては消化試合でしたので、8分ぐらいしか見ていなかったのですが、しかし韓国のゴールキーパーはすばらしい才能があると思いました。ちょうど遠藤のシュートのところだったのですが、「何という勇敢なキーパーだろう!・・・敵ながら天晴れ」と思いました。

 イラクの優勝には本当に心よりおめでとう言いたい、彼らの親類や友人も、多くがテロの犠牲になっているということです。歓喜の民衆を狙ってテロをするなど、人間のやる行動ではありません。

 決勝がイラクとサウジアラビアになったということは、アジアサッカーの中心が日本を中心とする東アジアからイスラムに移ったことを意味しています。
 シリアも強くなっているということですので、ジハード(聖戦)思想で向かってくるイスラム教徒に、日本市民道の大和魂でたたかっていかないといけませんね。
 日本が止められなかったサウジのツートップを、イラクは完全に封じたということで、
「うーん」と思いました。

 日本は予選免除ではなくなったということですが、二軍で予選は勝てるレベルにならないといけないし、日本代表は予選からバッチリ苦労すべきレベルだと思います。

 ハンガリーにルーツを持つと思われる、東欧流の「走るサッカー」はできました。世界のサッカーは南米の「個人技のサッカー」と、ドイツを中心とする「組織のサッカー」があると言われましたが、東欧勢はよく走ると思っていましたが「走るサッカー」だったのですね!

 ハンガリーはハンガリー動乱で衰退しましたが、かつて世界一でしたし、その流れをくむと思われるユーゴスラビアのサッカーも、トヨタカップで世界一になっています。
 「走るサッカー」は間違いなく正しい方向性です。ハンガリーのマジャール人は、日本人と同じアジア系で、混血が進んでもずんぐりしていて体格がよいわけではないからです。

 体格が小さくても走ってスピードがあれば当たり負けませんし、相手を翻弄します。個人技とコンビネーションがあれば点はどんどんとれます。
 老将は筒井康隆先生の小説の「私のグランパ」(グランパ=グランドファーザー=お祖父さん)からとれば、「日本代表のグランパ」とだと思います。ジーコ監督というすばらしい「日本代表のファーザー」の後を受けて、すばらしい「走るサッカー」をめざしてほしいと思います。

 私は今回の大会でオシムグランパが好きになりました。ピクシー(ストイコビッチ)が、「日本代表を変えるすばらしい人」と言わなければ、横浜の選手を代表から多く外し、千葉の選手ばかりかわいがるとんでもないジジイだと思っていたのですが、何よりも信念の人、日本代表の青年達を愛する父性愛に満ちた人であることがわかりました。日本人も日本代表もグランパを信じてほしいと思います。オシムグランパも無理なさらないでください。サッカー日本代表よ永遠なれ!
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2007/7/31  5:45

米国の対日批難決議近いなあ・・・  自我(エッセイ)
 アメリカ時間だと対日批難決議はもうじきですね、何もできませんが、市民として必要最低限のことをし、「人事を尽くして悪事を待つ」というところです。私は自分の国の国軍兵士を信じます。大半は多感な青年達でした、戦争は狂気でも軍紀は守る気力があったことを信じます。
 現地の軍人会館と、日本人や中国人を問わず民間業者が経営する売春宿を、一種の偽装で慰安所といっていたようです。
 日本軍が運営していたわけではないので、日本の施設ではありません。
 かつてのベトナムや、イラクのアメリカ軍政地域に売春宿があっても、アメリカ軍が経営しているわけではないことと同じことです。
 日本国軍を日本人が信じないで、誰が信じてあげられるというのでしょうか?
 戦地に送られ苦しい思いをして戦死し、死後冤罪に問われてはたまったものではないと思います。 
 それは反戦平和運動とはまったく異質な、冤罪と嘘の自白の強要という、人間として恥ずべき行為だと思います。
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2007/7/30  21:47

「生きている兵隊」(石川達三)の慰安所について  自我(エッセイ)
 昭和を代表する大作家石川達三先生の小説に、「生きている兵隊」という名作があります。
 これは日中戦争(支那事変)の南京陥落後、約一ヵ月後に取材に入った作家が、各一週間づつ首都南京と上海に入り取材し、それをもとに書いたルポ風の小説です。
 私は、石川達三先生は真の文士だと思っているので、その中に嘘はないものと確信しておりますが、その中に南京にあった慰安所の話が出ているのです。

 石川氏が南京に入った直後は、南京には南京市街戦により日中入り混じった兵士の死体がゴロゴロしており、大変悲惨な状態でした。南京市民の多くは難民避難地域に入れられ日本軍の保護を受けており、許可がなければそこから外に出れない状態でした。

 その後治安が回復しはじめ、酒保(飲み屋)や商店が再開する中営業を開始したのが慰安所なのですが、入口で軍票を使い中国人従業員にお金を払い、中に露地のようなものがりいくつかの家から選んで中に入り、中国人娼婦と、まあつまりセックスするというものですが、奇妙なことに中国人女性保護のために入口に憲兵がおり、セックスしている部屋の出入口でも銃剣をつけた状態で警備していたというのです。

 つまり何かあったらその場で刺殺、銃殺か、軍法裁判で極刑ということです。

 おそらくもともと南京にあった売春宿であり、売春宿経営者の要望によるものだと考えられます。軍が管理していたのなら従業員も日本兵のはずですので・・・ 

 慰安所についていくつか読んだのですが、軍人会館や、戦死者の霊安所として使っていたなどという話もあります。どうも全体的にいうと現地の軍人会館のイメージが強いのです。

 ただ南京にあったそれは、建物の構造からいって、南京にもともとあった売春宿を、軍が許可して営業を再開したということのように感じられるのです。
 いかにも売春宿経営者が軍に貢献しているように見せるために、「慰安所」と銘打ったのではないでしょうか?ちなみに韓国人がいたということは書いてありません。
 軍人が管理していないので、公営では明らかにありません。
 最前線までは石川先生は行っていないので、後方の南京における話です。

 ただ南京市街では、いまだに略奪や泥棒が相次ぎ、便衣兵と呼ばれる私服を着たり日本兵の軍服を死体からはがして着た、元中国軍兵士による略奪や放火、そしてどうも本物の今でいう中国正規軍の特殊部隊、つまり都市ゲリラ部隊も混じり、夜間頻繁に放火を行うため、とうとう市街の2/3が焼けてしまいました。

 中華民国軍は南京の無防備都市を宣言せず、重慶を指して政府が逃げてしまい、南京に残された司令官も兵士を見捨てて逃げてしまい、南京は大混乱になってしまったのです。
 都市ゲリラ部隊は日本軍駐屯地周辺に放火を行い、夜間爆撃のかがり火に使っていました。日本兵も天下の要害南京市街戦と、占領後のあまりの事態に士気が低下してしまいました。

 一方酒保(飲み屋)をしながら紙屑となった中華民国の紙幣を集めて、まだ円と交換できる上海に持っていく利ざやを稼ぐ、日中双方の悪徳商人が蔓延していることも石川先生は批判しております。

 金持ちの家に日本兵が入り、抗議されたら「日本軍政下なのに抗議するか!」というような態度をとった兵士の批判、勝ったからといって負けた中国人娼婦を買いに行く、一部兵士を批判しております。

 銃を持つ若い女性を、スパイ容疑で殺害した兵士の狂気と懺悔の気持ちも書いております。

 全体のスタンスからいって戦争の悲惨さ、「聖戦を汚す日本人」を批判しております。一方多感な青年の戦争への空しい気持ち、首都南京が陥落しても続く戦争、最後は再び戦地に兵士が出動するところで終わっております。
 
 治安が回復すれば売春宿に憲兵もいなくなったでしょう。現地司令部が南京の治安回復と、軍紀の弛緩にピリピリしている一方で、終戦後の東京都同じくたくましく復興しようとする南京市民の姿もあるように思うのです。

 「あの話はあくまで小説」という話もありますが、真実に基づく小説です。ですが一方で当時に日本人のモラルの厳しさもわかります。悪質の反日プロパガンダをしている人は、買春旅行を韓国人より先に日本人自ら問題にしたのを見て、「日本人はこのテの話にきわめて敏感、プロパガンダを行えば必ず成功する。」と考えたように思うのです。

 慰安所の描写のほとんどが反日プロパガンダで、他に中国人を斬首している日本兵も、その多くが左足を前に出し、それでは自分の足を切ってしまうため、プロパガンダ用に創作された写真であろうと言われています。

 有名な上海の公園にあったという、「犬、猫、支那人は入るべからず」という看板が、その後上海に住んでいた白人から、「そのような看板は見たことがない」という抗議で中国政府の悪質プロパガンダがばれ、ついに中国政府が引っ込めた例もあるのです。冤罪をはらすことをあきらめるべきではありません。

 戦争の悲惨さや、一部兵士の軍紀違反があっても、大抵の兵士は聖戦を信じ戦い、その一方戦争の行く末に不安を持ちながら戦い、そして石川先生の取材して兵士も、戦死したのかもしれず、「西部戦線異状なし」のような、戦争の悲惨さを書いたのだと思います。

 今日図書室で整理していて久しぶりに会いました。整理でパラパラめくっていたら慰安所の話がたまたまあって、帰宅してゆっくり読みました。これも何かの運命だと思いましたので書いてみました。

 お金を払い入店しする現地の売春宿、他の地域の証言などでは現地の軍人会館、慰安所とはそのようなものであったと考えられます。戦争が長期化し、長期駐屯する兵士のために必要になったものだと思われます。

 皆青年ですし、「生きている兵隊」を読んでも、当時かなりモラルに日本兵は厳しかったようですので、言われるようなことはなかったと確信しまします!

 戦争とは悲惨でいろいろな出来事がある。ただそれだけだと思います。
 
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2007/7/29  7:28

東西文化の融合と平和共存  国防
 戦後日本が世界にずっと発信してきたメッセージは「平和共存」でした。
「東西文化の融合と平和共存」は、私の出身大学である大東文化大学の、大東文化学院以来の永遠のテーマでもあります。「東西文化の融合」は戦前の「幻の東京万博」の精神でもありました。少し宣伝になりますが、それを「漢文文化」を源流として実行するのが大東文化学院以来の伝統なのです。戦前は五族協和と言い軍事的に実行してきたことが問題だったわけですが、「漢文文化」が源流ならそれは平和的に行われます。
 私の時代は入学式に論語をOBの方が配っておられました。高校時代に岩波文庫版で読んでいましたが続いてほしいよいことだと思います。

 戦前は国会決議により作られた学生へは官費支給の事実上の官立大学であり、院長も華族や有名な教育学者が多く、漢文に強い教育者を育てる「師範学校」の一面がありました。
 そのた軍国主義者の拠点と見なされ、空爆のターゲットとなり、戦後も助成金を大幅に減らされ苦しんだ伝統もあります。その苦労は筆舌に尽くしがたいものがあったと言います。
 東大と早稲田出身の漢文学者が開学当時の二大勢力で、しょっちゅう漢文を通じて喧嘩をするのは、新聞にたまに載るぐらいの名物であったそうです・・・平和な時代の話です。

 師範学校の一面があったので、私も少し教育訓練分野にある可能性もあったということですね、教師嫌いで聖人君子でない私も信じられませんが・・・今もって向いている気はしません。

 日本の師範学校の伝統は、各教育学部に長く残ってほしいものだと思います。

 教育訓練の職業能力開発総合大学校も師範学校の一面があります。戦後教育学部として再出発した師範学校が多いですが、師範学校の伝統は大切にいるところが多く、今後も大切にしていってほしいと思います。戦前も教育のお雇い外国人は、森有礼の推挙で明治初年に来日したバージニア州生まれの、マリオン・スコット(Marion McCarrell Scott 1843-1922)というアメリカ人でした。(ネットで百科@homeより)
 東京高等師範学校で欧米式の一斉教授法や、ペスタロッチ主義の直感教授法を日本に導入しました。戦前から日本の教育はアメリカ式なのです。

 大東文化学院は立教大学の正面にかつてあり、戦時中の空襲で、立教大学はきれいに焼け残っているのに大東文化学院は敷地は小さいのに丸焼けで、あまりの見事さにびっくりしたと聞いたことがあります。
 図書館には国の保護があったので多くの貴重な資料があり、空襲のとき貴重な絵巻物が、焼けながら夜に宙を舞っていたのを職員が懸命に消して守ろうとしたといいます、それでもかなり焼けてしまったと聞いております。図書館学講座ではないOBから聞いた話です。
 立教大学は図書館旧館の立派な建物が残っておりますが、戦火を逃れた大事な建物ですので末永く大切にしてほしいと思います。資料はあまり入りませんが本当に大学の精神を象徴する建物だと思います。

 戦後外地から引き揚げてきたOBの人が、私は経済なので価値がわかりませんが、漢文のきわめて貴重な資料を図書館司書さんに頼んだら、奥から出してきてくれて感無量だったと言っておられました。それが戦後の出発点だったという文を読んだことがあります。名前を言えば誰でも知ってる漢文の大家の先生ですが、「焼け残ったのか・・・」という気持ちであったと思います。「図書館司書とは大切な職業なのだなあ」と思いました。私は戦火の中で本を救おうという気持ちは持てないと思われ、先人の偉大さに本当に敬意の気持ちを持っております。

 先日、京都の立命館大学が中国から四庫全書を贈られ、保管場所に困っているという記事を読みましたが、本当に貴重なものか確認して、ぜひ大切にしてほしいと思いました。幻の永楽大典の一部が日本で見つかればよいのですが・・・私の夢です。

 師範学校は今は師範大学と言うべきなのでしょうか?その精神は本当に民主化させながら長く残ってほしいものだと思いました。

(追加)

 大東文化学院の元となった戦前の学部は、昭和13年にできた「修身漢文科」、「国語漢文科」、「東亜政経科」の三科でした。先の二科は基本として「師範の育成」にありましたが、東亜政経科のみいささか異質で、目的が外地において不足している日本人官吏と経済人の育成することにありました。

戦後すぐの頃外地を失ったため、存続させるかどうか議論されたということですが、結局存続させることに決定し、現在の経済系学部の前身となりました。私が学生であった当時はまだ大東文化学院時代のOBが大勢まだまだ元気でした。官吏はやめても守秘義務があるので口が硬いのですが、さぞかし苦労されたであろうことは雰囲気で察せられました。

スポーツで鍛え上げられた連中も、あの穏やかな中に心の強さがある大人(たいじん)のような雰囲気の先生方を、ひじょうに苦手にしている雰囲気でした。大昔は文道をわきまえない集団が、山野で暴れまわるような事件もあったそうですが、大学当局がすぐさま解散を命じたと聞いています。私もあの実体験からくる凄味のようなものには雰囲気には「絶対勝てない臭い」がしました。戦前はドイツ経済学が中心だったそうです。戦後は英米系経済学が中心になりましたが、戦前の雰囲気にまだ少しでも触れられる時代に大学にいられて、私は幸福でした。

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