東へ行ったのには、気学的な意味があった。
5月節の二黒土星の人の吉方が東の六白金気だったからだ。
うちを中心として、真東に一本線を引く。その横線の上に15度、下に15度の角度で、やはり出発点は自宅で、東へ線を引く。要するに我が家から東の方へ30度の角度で広がっていく範囲を東方と見る。
ここに5月節、六白金気が廻っていて、それが二黒の私にとっては吉なのだ。
東の意味を考えてみる。太陽が昇る場所。陽があたり始める場所。蒔いた種が芽を出す場所。勢いがあり、活気づく。発展の場所。もっと読んでいけば、火の意味もあり、二度の作用の意味もあり。南と共通の意味があるかな。そういう意味で、病院や、健康診断など、体の不調などではっきりとさせたいものがある場合は東か南、もしくは三碧か九紫を吉で用いてその方位の病院へ行く。
私が突然前の晩に思い立って、九十九里へ行ったのは、この東という意味にひかれたから。自分の中のモヤモヤしたものをはっきりとさせたかった。日帰りの短い時間ではそれを実感するほどの気を体にとって来られないかもしれない。けれど、少しでもそれを実感したかった。気持ちもモヤモヤしていたし、事実そういうメンタル的なものが作用してか、ホルモンのバランスが崩れているみたいで先日婦人科へ行ったりして体調がどうも思わしくない。それもなんだか今ひとつはっきりとしないし、微熱は続いているし、それが逆に気になって余計にだるかったりしてね。とにかく、いい空気を吸って、何か心に感じることが出来たらいいではないか。時間があったらそんな一人の時間があったって、別に変じゃないだろう。私が一人であちこち行くのにはそんな理由もあったりする。
空が青いということを知るために
世界を廻ってみる必要はない
自分自身をなくしさえせねば
どんな生活を送るもよい
すべてを失ってもいい
自分のあるところのものでいつもあれば
これはゲーテの言葉で私がとても好きな言葉。真理なのかな。と思うけれど旅をしていいなと思うのは、知らない土地に行って一人になると、知らない自分に出会えたりするということがあげられる。普段見ないものを見て、普段食べないものを食べて、感じる。空が青いということを知るためなら出かけなくてもいいかもしらんけど、自分自身をなくしがちな未熟な私には旅は必要なのかもなーと思ったりする。
私はよく、空を見上げる。この空は、どこかのあの人の上にもあるんだろうと思ったり、あの雲は何かの形に似ているなと思ったり、飛行機雲に見とれたり、鳥が飛ぶ方向を見つめたり、あれは陽かな?あれは陰かな?と考えたり。よく見つめていると、自分の心が映し出されているような時だってある。そしてどんな時も、小さな自分を認めたり、大きな自分を信じたりする。
さて、東。九十九里浜へ思いつきで電車で行ったのは少し無謀だったみたいだ。さすが5月節。というのは、二黒(私)に凶がついて廻ってる月だから。暗剣殺という凶の作用。こういう時に思いつく考えは失敗に終わったり、的外れだったりするから、自分をまるまると信用してはいけない。新しい行動だって慎むべきなのだ。しかし私はこのはっきりしない自分の心と体に少しでも新しい風を通したかった。結果的には浜へは辿り着けず、やはり目的を達成出来ないという結果に終わったのだけど。吉方に拒まれているのかと思ったくらいに(笑)どんな行動をとっても避けられない作用はあるってことなのかな。
それでも、少し気分が変わって良かったと実感は出来た。まず、東金についてから、目的のお店まで国道をずーっと歩いたのだけど、1時間以上歩けた。というのも、本当に体が弱ってしまっていて、ここ3週間くらい、仕事以外ではぐったりしていることがほとんどで、ウォーキングもしていなかったのですっかり体力が落ちていたのだ。私が抱えている問題は、何ひとつ解決されていないにもかかわらず、気分だけは不思議と少しだけだけど晴れてくれて、歌を歌いながら国道を1時間以上もてくてくと歩いた。ちっぽけな私がむやみに悩んだところで、答えなんてある日突然与えられるものかもしんないなぁ。
それなのに、じたばたするなんて。
そういうもんかもしらんね。
歌は、国道を歩いている人は、私以外には一人もいなくて、本気で大きな声で歌いまくった(笑)楽しくて、のんびりとだったけど久しぶりに長い時間歩いて良かったと思う。直接用いた九気は六白で、体の丈夫な感じがある。スポーツ選手なんかに六白の人が多いって聞いた気がするな。それから、東は元々三碧の場所なので、東を用いる時にはその意味も考える。三碧そのものには歌という解釈は少し遠いけど、(どっちかというと七赤のものかな)ただし三碧の持つ 「口(くち)、しゃべり」 という点からしたら、元気な体で歌を歌って歩けたというのはこれら気のなせる業か。
それから、途中で気がついたんだけど、私が寄ったお店っていうのは回転寿司屋だったんだけどね、「寿司屋」 を九気に当てはめるなら、三碧なのだ。東に行って寿司屋に行くっていうのは自然の流れかねー。
そしてね、帰ってきてから、体調は相変わらずなんだけど、気分はだいぶ良くなっている気がするんだ。「歩きたい」 って思えるようになったから。それは、あまりにも体が怠けて体重が増えてきて切羽詰っているからっていうのも少しはあるかもしんないんだけどね(笑)でも心が元気じゃないと歩けないなって、無理をしないようにして、歩かなかったんだ。ゆうべ、「明日、歩いてみたいな」 って自然に思えた。だから今朝はかなり久しぶりに歩いて出勤した。毎度のマキシマムザホルモンで。これは余談かもしれないけど、ホルモン聴いてたら男なんか要らん!恋愛なんかしなくてもいい!とか・・・思う・・・まじで。カッコよくて血が騒ぐ感じかな。
1時間ほど歩くと、脳の中で何かが起きる。小耳に挟んだ話では、ランナーズハイとかウォーキングハイとかは脳内麻薬のドーパミンが分泌されて気分が高揚するとか。それが 「やる気」 と言う人もいて、(やる気なのかハイテンションなのか私には正しいところは分からないけど)うつな気分が解消されるとかって。そういうこともあるんだろうねと思う。事実、私の場合は、歩くことによって頭の中がすっきりして元気になる気がする。矛盾しているのは、歩く元気がまったくない時に、歩くことによって元気が出るっていう法則。元気がないから歩けないのに歩いたら元気なるわけで、元気になるために歩くその元気はあったやーん、みたいなさ。
国道歩いている時に撮った画像。