2008/2/24

幸田浩子 初のソロ・アルバム モーツァルト・アリア集  CDs

ソプラノの幸田浩子さんが、ようやくというべきなのか、DENON(コロムビア)から録音デビューを果たしました。できれば、2、3年前に1回入れておきたかったですね。彼女のキャリア初期の頂点を迎え、新国「ホフマン物語」のオランピア役やガーシュイン「キャンディード」のクネコンデ役で、揺るぎない評価を得た彼女の黄金時代。抜けの良い高音の軽妙な響きが、信じられないくらいに美しく、酒脱だったものです。その後、彼女の声はやや成熟し、一昨年の7月末、小森輝彦とのデュオで歌ったリゴレット役で、そのことが確かめられました。このあたりまで、私は彼女のことを知っていますが、それから少しご無沙汰しました。しかし、このアルバムも、その延長線上にしっかり位置づけることができるでしょう。

デュオ・リサイタルのとき、「今後は、ピチピチして若々しい彼女の声も、いささか熟成に向かっていく方向にあるらしい」という見立てをしたのは、当たらずともというところだったようです。それは私の感覚が鋭いなどということではなく、自分の声をどうもっていくか、あるいは、つくっていくかということに対して、彼女が明確なヴィジョンをもって歌っていたことの表れであろうと思います。いつまでも、可愛らしいツェルリーナでいるわけにもいかないでしょう。今回のアルバムは、幸田浩子の本当にスイートな時期の記録ではなく、これから彼女がなにを目指し、どんな方向に進んでいくのか、その前の磨きかけの原石の美しさを披露するもののように思えます。

アルバムは、モーツァルトのもっとも素晴らしいモテットにして、かつ、最難曲のうちに入れるべきと考えられる「エクスルターテ・ユビラーテ」に始まります。ここで我々は、以前よりもずっと重みのある中低音を開拓しつつある、幸田さんの姿に気づくはずですが、最初の1曲は少し硬さも残っていますね。レチタティーボは、その部分がしっかりした支えとなり、緊張感に満ちて素晴らしい。〈聖処女の冠よ〉〈アレルヤ〉は、現時点での彼女の到達点を示す基準点であり、「かつての彼女」(抜けのよい清々しい高音)と「現在の彼女」(ふくよかで艶のある中低音の開拓)のバランスがうまくいっています。特に、〈聖処女〉しまいの淑やかな弱奏から、気品ある〈アレルヤ〉が立ち上がる受け渡しの部分が秀逸です。

このアルバムの優れている点は、言葉と表現に対する幸田さんの拘りが、隅々まで行き届いている点です。言語はイタリアとドイツですが、それぞれのお国柄からすると対照的に、イタリア語ではフォルムがカチッカチッと決まっており、二期会員らしい言葉への執着が聴き取れる一方で、ドイツ語ではぐっと情熱的で、一語一語に体重が乗っている感じがします。これは、歌っている曲目にもよるでしょう。

スザンナとツェルリーナに対して、コンスタンツェと夜の女王という対照的なレパートリーが並ぶのも、このディスクの面白さです。スザンナやツェルリーナでは、かつてよりも女の芯の強さみたいなものが、よりはっきりと前面に出てきています。とりわけ「薬屋の歌」の最後の艶かしさは、男性のファンには堪らない部分でしょう。思わせぶりな伴奏の助けもあり、とても官能的に仕上がっています。コンスタンツェや夜の女王では、彼女たちのなかにある迷いや、悲哀のようなものを、表面的な強さと対置して、見事に、奥ゆかしく表現しています。コンスタンツェのアリア「あらゆる苦しみ」は、モーツァルトの書いたアリアのなかでも、特に難しいアリアのうちに入るでしょう。技術的なものや音域の問題もあるが、まず歌詞からして歌いにくいのです。完璧とはいわないものの、幸田さんは大事なキーワードを上手に織り込みながら、自在なディクションで、コンスタンツェの強さと弱さを同時に表現し得ています。夜の女王は、やや迫力不足でしょうか。

幸田さんは演技の人という感じがしていたけれど、歌曲風の歌いまわしが特徴的な、「劇場支配人」のアリア〈若いあなた!〉が、意外に良いのですね。楽曲への共感がよりナチュラルで、楽しそうに歌えています。こういうときの幸田さんは、本当にいい。アルバムの終盤には、そうした曲目が並んでいます。モーツァルトの大曲「ミサ曲ハ短調」のクレドにあるソプラノ独唱〈精霊によりて処女マリアより御体を受け〉は、宗教曲というよりは、女としての聖母への共感が、優しく滲み出ています。これは、夜の女王の、隠された母親としての顔とも共通し、このパートをモーツァルトのコンスタンツェ夫人が歌ったされる伝承から考えても、プログラム構成としても興味ぶかいところがあります。

最後は、名曲中の名曲「アヴェ・ヴェルム・コルプス」で、しっとりと締めています。技巧的なコンサート・アリア K.418 などと比べて、いまの彼女は、こうした曲目をゆったり歌いきることに賭けているように思えます。全体的に若いアーティストが陥りがちな、スポーティな表現ではなく、今回は(オケがつくといっても)1人だけの歌なのだし、たっぷりと自分の感情をのせて聴いてもらいたいという意図が明確です。その分、時折、かつてのような切れ味の鋭さが犠牲になっている感があるものの、全体としては、とても味わい深い録音に仕上がっていると考えます。本来、幸田さんは相手役を得て、どんどん輝きを増すところにも魅力があるのですが、それは次回以降の楽しみとしておきましょう。

伴奏は、先ごろ新日本フィルにも客演し、わが国にも若干の足跡を印していったチェコの若手指揮者、ヤークブ・フルシャが指揮するプラハ・フィルハーモニア。ビエロフラーヴェクが育て、いまはフルシャが受け継いでいるが、ケラスやファウストの録音のバックでも活躍する、国で随一のハイテク集団です。ただ、今回の録音では、音色などの美しさでは聴きどころもあり、温かみのある響きが優しげなのに、全体にやや重めであるのは気になるところです。

ここのところ、こうしたソロ・アルバムが流行っており、バルットリ、カサロヴァ、ヴィリャゾン、ダムラウ、ジェンキンス、ヘイリーなど、数多くリリースされています。日本人では、ほかに森麻季といったところが期待されているようです。フリットーリはともかくとしても、ただ叫ぶばかりで聴いてられないダムラウや、勘違いしたカサロヴァのインチキなオッフェンバックと比べると、自分が大事に育ててきたところを真摯に歌った幸田さんの録音は、とにもかくにも繰り返し聴くに堪えるものに仕上がっていますし、彼女のこれまで、いま、そして、未来を貫くプロの仕事として評価することができます。それは同時に、良くも悪くも一回きりの、ヴィジュアル系アーティストとの違いも示していますね。
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