2005/5/13
2012年12月23日
17・5・13
2012年12月23日の事が、方々で聞かれる様に成って来た。私は、1985年7月27日に、奈良市の「大倭あじさい邑」で矢追日聖氏に出会い、その件を直接聞いたので、耳にしてから丁度20年が経過している。
私は、1984年11月末に屋久島を出発して、1985年7月2日に1人だけの旅が終わり、人々との新しい出会いが始まった。
7月3日に、丹後の龍献寺の「安井桂造氏」から始まって、「田中真海氏」、「杉岡政房氏(京都府亀岡市)」と紹介され、7月26日には奈良市の「大倭あじさい邑」の中に当時有った、「野草社」の石垣雅設氏に出会った。
其の日は、丁度マヤ暦の元旦に当たる日だと後で知った。
石垣氏に会って、「途中の古墳の所で、法主と声が有ったのですが」と云うと、「エッ それは このあじさい邑の理事長が 法主さんと呼ばれているので 理事長の事でしょう」と云われ、次の日に、矢追日聖法主と会う事になったのである。
翌27日に、矢追日聖氏の自宅に石垣氏と数名で訪れ、話しをする事と成り、話の中で「私が 大事な人間と出会うと 地球が反応する」と云うと、矢追日聖氏が「エッ 貴方は 今朝の新聞を読んだか」と云うので、私が「読んでいない」と答えると、矢追日聖氏が「昨日 長野県の地附山が崩れた」と云うのである。
その時間は、私があじさい邑に着いた時間だった。
(1985年7月26日に死者26人を出す地滑りが発生した長野市北部(善光寺後方)の地附山。)
それで私は、大倭と、石垣雅設氏と、矢追日聖氏が大事な方々であると、自覚できたのである。更に、矢追日聖氏の話では、昭和20年8月15日の終戦の日に、昭和天皇のラジオ放送でのお言葉の後、大倭神社の境内で泣き崩れていると、天から声が有り、「日聖よ 泣くな これは 大きな神の計画なのだ」と告げられ、次に地球儀が映って来て、世界中に日の丸が立っており、新しい精神革命が日本から起きる事を告げられたとの事であった。それから現在まで、大倭では12月23日を元旦として、祭りを行って来ているのである。
12月23日の文明転換の嵐は、2012年12月23日に始まるのではなく、1945年8月15日から始まっているのである。と言うよりは、マヤ暦を刻み始めた時より2012年12月23日に、新しい世界が動き出すと示されていたのだ。
私達人間の存在は、神の意思を実行する為の、神の手足の代わりなのである。
そして、神の代わりに、暦を刻んでいるのである。人間の行為が、神の計画よりも遅れてもならないし、早過ぎても物事は進まないのである。2012年12月22日までは、23日から始まる何かの為の準備期間なのだろう。
矢追日聖氏は、1996年(平成8年)2月9日に亡くなられた。大役を終えて、大往生されたのである。矢追日聖氏が受け取ったメッセージが、何時、現実として普通の人々に理解出来る事になるのだろうか。私の知るところでは、大倭あじさい邑から近い平城京跡に、世界中の人々が何万人も集まるのを神に見せられている人もいる。
平城京には、既に朱雀門が完成し、2010年には大極殿が復元される計画である。2012年12月23日には、新しい神の計画が人の目に明らかにされる事だろう。
平成17年5月13日
礒邉自適

8
※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
投稿者:だいちゃん
2012年12月23日は滅亡の日
初めまして。
あなたのブログを興味深く拝見させて頂きました。
私は平成2年に、平城京跡でどなたかの葬儀が執り行われ、その最後尾に自分が参列している様子を夢で見た事があります。
その前後に、真っ暗な山を登っていて、ふと見るとそれが死体の山であったと言う夢も見ました。
私はその葬儀がどなたのものなのかとても気になっていたのですが、矢追さんの事を最近になって知り合いから名前を聞いて知り、インターネットで検索した所あなたのブログを見つけました。
唐突な書き込みをしてぶしつけで申し訳ありませんでした。
いろいろと思う所があり、今後もあなたのブログを一読者として読んで行きたいと思います。
宜しくお願い致します。