2004/7/6
白州
16・7・6
去る五月の一夜、宮之浦公民館で、屋久町湯泊にお住まいの佐々木重安氏(78歳)の、お話を聴く会が催され、私もそれにビデオカメラを持参して出席させてもらった。参加者は20名で、佐々木氏父子と私の他は、殆どが上屋久町に住んで居る方々である。
佐々木氏のご尊父は、生前、作家「椋鳩十さん」に豊富な話題を提供した、屋久島の語部「佐々木吹義翁」である。会の趣旨も、重安氏が父から聞いておられた体験物語を聴かせて頂くことだった。
氏は、ご自分も猟師として父上と同じ体験を積み、山に精通しておられるので、お話が生きていた。場を作って下さったのは、宮之浦のナカガワスポーツの中川正二郎氏である。
私は、昨年暮れのポンカンの収穫と、1月から2月に掛けてのタンカンの収穫期に、佐々木氏の果樹園の収穫を初めて手伝う事に成った。最初の日の朝、名前を告げて自己紹介をすると、私の両親を知っており、私が生まれる前の家庭の事も能く知って居た。
私の両親が、屋久島に初めて来島したのは、昭和21年8月3日で、松峰の明星岳の裏側に有った、タングステンの鉱山である重石鉱山会社の事務所が父親の勤務先であった。私の生家の近くに住んで居る中村さんが、佐々木の親戚で其処に度々通って来て居たとの事。
ちなみに、私の生まれ育った土地は鉱山会社の直営の農場で、子供の頃には「農場の人」と呼ばれて居たのである。佐々木氏は、当時21歳で、私の家に何回も芋焼酎を飲みに来て居たという。佐々木氏が21歳の時なら、私は産まれたばかりか、未だ生まれていない頃である。
私が生命の島に書いた、猿(正しくは鹿だったらしい)の脳味噌を持って来て、私の母親に食べさせた犯人は、どうもこの重安氏である事が判った。
余談だが、母親に聞いた処に因ると、私の父親は佐々木さんの親戚が有していた、芋焼酎を造る道具を借りて焼酎を造り、誰彼と呼んでは振舞っていたらしい。どうやら、湯泊に住んで居た佐々木家と私の家は、最初から縁が繋がっていたようである。
さて話しを元に戻すと、当夜の話は山の神様に関することだった。ある時、吹義爺さんは仲間の猟師と3人で、奥岳の投石岳から栗生岳の山稜へ、夏鹿を撃ちに登った。2000メートル近い峰々はヤクザサに被われている。7、8月は、その笹の竹の子が伸びて葉を広げているときで、島中の鹿が新芽を食べに集まって来るのだそうである。
この時期には、早朝か夕方、物陰に隠れて静かに待っていれば2、3頭は簡単に撃つことができた。夕刻、吹義爺さんは2人と別れて鹿を捜しに出かけ、1頭の子鹿を見つけて撃ったが、手負いの鹿は転びながら逃げて行った。
山頂は、太陽が海に沈んだ瞬間、真っ暗になり、道も分からなくなる。吹義爺さんは鹿を追うのを止めて引き返したが、間に合わず、闇のなかを手探りしながら、ようやく仲間の居る、待ち合わせ場所へ辿り着いたのだそうである。
其処には火が焚かれ、2人が火を囲んで座っていた。其処は、砕けた花崗岩の砂が水に流されて集まった真っ白い砂洲で、傍らに美しく澄んだ水を湛えた水深2メートルくらいの池が有った。
吹義爺さんが2人に、「どうして こんな場所で火を焚いたのか」と訊ねると、「今日は西風が強く、狭い所で焚くと火事になる恐れがあるのでここにした」との返事だった。獲物を得られなかった吹義爺さんは、火から少し離れたヤクザサの側で、持参の生味噌を舐めて水を飲み、明日の猟に期待して眠った。
翌朝、目覚めると、1人の仲間が騒いでいた。聞けば、火傷をした覚えもないのに右脚の膝から太腿へかけて、大きな水脹れができているという。猟どころではないと思った爺さんは、ズボンを脱がせ、笹竹を削って水脹れを破って水を出し、彼を背負って登山道まで下った。登山道からは、本人を歩かせて村まで帰った。
直ぐに医者に診せ、治療してもらったが、数日後その仲間は亡くなり、もう1人の仲間の子供にも同じ水脹れが出来て大騒ぎになった。
神様に伺いを立てると、水神様の祟りだとのことで、お祓いを受けたところ子供は治った。
吹義爺さん本人も、40度近い熱が4日間続いて、5日目には船で鹿児島の病院へ運ばれた。
病気は、悪化した中耳炎に似ていたが、こめかみの骨が腐りだし、何度も手術を繰り返しながら、六ヶ月もの入院生活となった。
ある日、付添いの看護人が街で突然、霊能者に呼び止められ、「あなたは 大変なことに関っている。早くお祓いをしなければいけない。」と言われ、奥岳の祟りを祓ってもらった。すると、病気は急に回復に向かい、吹義爺さんは数日で退院出来る様になったとの事だった。
2人の仲間は、白洲で火を焚くとき、神様に決った挨拶をしなかったものらしい。
この実話を聴いて、私はこんなことを思った。白洲と言えば、神社拝殿の中庭には白い砂や礫が敷き詰められている。寺の墓地も、お盆には白い砂を運んで撒く。世俗でも、大岡越前守などお奉行さまの裁きの庭は白洲だ。白洲は、斎き清められた場を意味するのである。
山頂近くに、白洲と清らかな水の湛えられた中洲は、神霊が住処とする場所だったのだ。2人の猟師は、火を焚く際に、山の神様へ祈りの儀式を行わず、不用意に神様の住処を汚し、祟りに遭った。その儀式は、通常は吹義爺さんが行うので、他の人は事の重要性を認識していなかったのだろう。
いま屋久島では、吹義爺さんの生きていた頃とは違い、多くの島外者が山に登っている。山の神様たちが嫌がって島を逃げ出していなければ、今も奥岳のどこかで、人間の傍若無人ぶりを見ていないはずはない。人間の横着さが、その場に及ぶことになれば、山の神様の怒りにふれて何が起こるか分らない。
もしかすると、6月11日の台風四号の水害は、山ん神が住処の汚れを一掃する為に起こした現象だったのかもしれない。
安房川のカヌー乗り場は完全に壊れ、荒川登山口の駐車場は使用不能となり、白谷雲水峡への道路は数ヵ所で分断されて、不通となった。
火を焚く挨拶がなかっただけで、死さえもたらす力を有する神が、糞尿を撒き散らす人間どもを、いつまでも許しておくはずがない。
私たちの子供の頃は、川に小便をするな、仕方なくするときには、「ごめんなさい、ごめんなさい」と唱えなければならないと教えられ、真剣にそうしていた。
大人になってからも、木を伐っていて川に落としたら、川は神様の通り道だから、全部取り出さないと罰が当ると教わった。
小便をすれば、川が汚れて飲み水にならない。木を落したままにして置けば、水害の原因になる。考えれば当たり前なことだが、そこに神様の存在を意識することで、子供の心の奥に、深い世界が広がってゆく。
其れに拠り、日常の暮しの中で、目に見えない世界を感じるセンサーが育てられたのである。
猟を生業とする人が居なくなり、どこの村里でも人慣れた鹿を見かける様になった。彼等の透き通った眼から、神の意志を汲み取れないものかと想う今日この頃である。
できることなら、重安氏のお話にあった白洲の場所へ、一晩、1人静かにお篭りをしてみたいものだ。自分の魂の根源に触れる為にも・・・。
平成16年7月6日
礒邉自適

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