2009/11/21
遠い過去の思い出
21・11・21
今日は、明日から、明後日に掛けて行われる「新嘗祭」の為に、自分自身の禊ぎ祓いを行わなければ成らない日である。其れに、日付も「21・11・21」で、バランスが取れている日でもある。
今朝のメッセージは、確かに今日の日付に相応しい内容の様であり、最後に、名前はいま思い出せないが、男性歌手の声で「遠い過去の思い出・・」の歌が流れて来た。其の歌の歌詞で、霊界の物語は、全て過去の思い出である理・ことが解った。其れに、今朝は「秀吉」の御霊が、介入して来ていた様である。其れは、天下取りの手法を、示すモノなのであろう。
其れは、明日「新嘗祭」の儀式が、表向きには行われるが、神界では「大嘗祭・大譲祭・おおにえのまつり」と成るらしい。其れは、明日から「転輪聖王・チャクラヴァルティン」が動き出して、宇宙の大車輪が回り始める理・ことを意味している。昨日の高橋智恵美さんへのメッセージに有った、復活の台座に「ヴィシュヌ神」が着いて、「父の愛・慈悲」を齎すとの事が、其れに関係が有るのだろう。
其の事と、関係が有るのか、今朝は事務所に出て来てPCの前に座ると、女神の声で「愈愈ね」と告げられたので、女神のブログを開くと、後の言葉が続いて出て来た。
・・・其れが、「事象の特異点」の働きであり、「転輪聖王・チャクラヴァルティン」の働きなのです。ですから 貴方が 25年前に回した「時間・とき」は 回り続けているのですよ・・・
「愈愈ね」http://moon.ap.teacup.com/20060103/272.html
「年譜」http://star.ap.teacup.com/170606/156.html
先ほど、神奈川の高橋智恵美さんから電話が有り、今朝のビジョンを知らせて来た。
其の内容は、真っ白に雪を頂いた、チベットの「チョモランマ(エベレスト)」が現れ、次に、虎や、ライオン・獅子が、複数現れて、魂しいが抜け出て、体だけが残る獅子と、そのまま取り残される獅子が、別けられていたとの事である。そして、魂しいが抜け出る方が、良い獅子だったとの事である。
獅子の体は、エジプトのピラミツドの横や、日本の神社の入り口の鳥居の前に、置かれている物であり、ローマでは水の守り神として、浴場やプールに置かれている。
其れに、世界最高峰の「エベレスト」の名は、イギリス人の測量士の名前であり、地元での呼び名はチベット語の「チョモランマ」で、其の意味は「大地の母神」であり、サンスクリット語では「デヴギリDevgiri(神聖な山)」という意味である。
其の「大地の母神」や「神聖な山」の意味の、世界最高峰の山と、百獣の王の獅子の魂しいの関係性を考えると、高い魂しいの物が登場する理・ことを意味し、昨日の高橋智恵美さんのビジョンに現れた、復活の台座に座った「ヴィシュヌ神」に関係が有るのではないだろうか。「ヴィシュヌ神」は「メール山」の中心に住むとされており、メール山もヒマラヤ山脈の一部だから、意味的にはさほど違いは無いだろう。
・「ヴィシュヌ神」三神一体論では、3つの最高神の1つで世界を維持する役目があるとされる。一般には、4本の腕を持ち、右にはチャクラ(円盤、あるいは輪状の投擲武器)と棍棒を、左にはパンチャジャナ(法螺貝)と蓮華を持つ男性の姿で表される。そのためチャトゥルブジャ(4つの武器を持つ者)という称号も持っている。
メール山の中心にあるヴァイクンタに住んでいる。ヴァーハナ(乗り物)はガルダと呼ばれる鳥の王で、鷲のような姿をして描かれたり、鷲と人を合わせた様な姿で描かれる。神妃(妻)はラクシュミで、ヴィシュヌの化身に対応して妻として寄り添っている。
―引用終了― ウィキペディア辞典
今朝の私へのメッセージの映像は、何処か建物の中の、部屋の入り口に、私の2度目の結婚で生まれた長男「崇靖・しゅうせい(高き所に立ち 国を安らかにする の意味)」が1人で立って居り、私を誘うので、私は其の狭い入り口に向かった。すると、其の入り口の両脇の壁には、色々様々な形の蜂の巣が、下から上まで澤山着いているのである。私は、其の狭い入り口の蜂の巣を、刺激しない様にしながら通り抜けた。
そして、其の部屋の中には、フアックスの電話機が着いた大型のコピー機が有った。私が、其の側を通ると、其のコピー機の中から、長さが短くて、頭が黒く、胴体の白い蛇が、一匹出て来た。私は、其れが自分の方に這って来たので、噛まれてはいけないと想って、スリッパを脱いで数回叩いた。すると其の蛇は、またコピー機の中に隠れてしまった。
其れから暫くして、私が何処かに電話を掛けようとして、受話器を持ち上げると、何と、其の受話器に繋がっているコードが、先ほどの蛇の体なのである。私はビックリして、慌てて受話器を電話機に置いた。そして、是は、如何なっているのだろうと想い、其のコピー機を見て居ると、其の機械は温度が上がっているらしく、時々、白い水蒸気が立ち上るのである。
其れで、白い蛇が、熱で死なないのかと想って、電話機の方を見ると、受話器の横に数字が点滅しているのである。私は、其の点滅している数字を良く見ると、「2・08」と成っていた。私は、其の数字を見て、「グリンクラブ」に関係が有るのだと想った処で、その場面は終わった。
「2月8日・天つ宮事もちて」http://green.ap.teacup.com/20060818/1039.html
「2月9日の日付」http://green.ap.teacup.com/20060818/179.html
「「素戔鳴尊」http://moon.ap.teacup.com/20060615/130.html
何故、「嵩靖」が立って居た入り口に、蜂の巣が澤山着いていたのかを考えると、私に1994年3月22日に告げられて来た、「風 麥東 陶・ふうれんとう」の言葉に関係が有るのだろう。蜂の巣は、六画形で、隙間を作る事なく空間を埋めて行く形である、そして「素戔鳴尊・すさのおのみこと」の働きを現す、亀甲紋の形でもある。
「風 麥東 陶・http://wave.ap.teacup.com/20060106/5.html
其れに、「素戔鳴尊」のメッセージが、北海道から来た女性に2月8日に告げられた、麦生集落の森山に有る「大山神社」では、私が緑の日である4月29日に参詣して、球石を奉納したら、次の日のメッセージの映像に、真っ黒の大蛇が、其の祠から外に出たがっている姿が現れた。其の麦生集落は、昭和55年に村造り日本一に輝いて、天皇杯を授与されてもいる。
「助け蛇が目を覚ます」 http://green.ap.teacup.com/20060818/734.html
私が、数日前気付いた理・ことは、其の真っ黒の大蛇こそ、北方の守り神である「玄武」であり、亀の体に巻きつく大蛇なのである。だから、「玄武」の名には、黒を意味する「玄・ゲン」の文字が使われているのである。
そして、「武・ブ」の漢字は「止+戈」の組み合わせで、「止」は足の象形で、行くの意味。「戈」は、ほこの象形。武は「ほこを持って戦いに行く」の意味である。
【字義】は、たけし。強い。勇ましい。威力。武徳。の意味なので、「荒神様」の名を持つ「素戔鳴尊」の働きにも繋がる様である。
其の様に考えると、「素戔鳴尊」が祭神の神社が「亀甲紋」である事と「黒い大蛇」の関係性が、「玄武」の働きと重なって来るし、村落の背後の北方の山に「素戔鳴尊」を祭る事の意味も、理解できて来る。
今朝の次の映像は、私が、電話連絡をしようとしていた先方に、出掛けて行くと、其処は何処かの市町村の役所の広い会議室で、市長か、町長の様な人間が居て、会議が行われていた。其の会議の議題は、市町村の是からの行政の中に、食に関わる人材を入れて、新しく部署を創るかどうかであった。其れは、「食国の政・おすくにのまつりごと」を、役所の中に、創設しなければ成らない理・ことを、意味しているのであろう。
其の議題は、明日新嘗祭が行われる事と深い関係があり、日本の「御饌殿神・みけどののかみ」「台所の神」「荒神様」の伝統が、復活するとの事であろう。其れに、京都の祇園神社の主祭神である「素戔鳴尊」の役割は、祇園精舎の守り神であるとの事。
其の「祇園神社」の「祇園」の名は、「ジェータ太子」が、釋迦牟尼佛に自分の土地を寄付し、其の土地に木を植樹した事に由来しているとの事である。
其れは、「素戔鳴尊」が、息子(いそたける)や娘達と一緒に、日本各地に植林をしているので、其の意味でも働きが共通しているのである。
「 顔を見せた釈迦」http://star.ap.teacup.com/170606/687.html
私は、其の会議が終わったら、先に外に出て、渡り廊下に置いて有るスリッパを手に取り、外に出て来た町長の足元に揃えて置いた。すると、其の町長は「貴方は誰か」と云うので、私は「後で 名刺を持って 町長室に伺います」と答えたのである。
其の行為は、織田信長に対する、豊臣秀吉の行為と同じである。其れは、今朝のメッセージには、天下取りに成功した「豊臣秀吉」の記憶が、作用している事に成る様である。其れを考えると、私に起きた4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」は、過去の霊魂の憶いの集大成であると言う理・ことに成る。其れを想ったので、今日のテーマは「遠い過去の思い出」とした。
しかし、昭和天皇の御霊は、遠い過去の思い出はなく、平成元年1月7日の夜に私の心臓に飛び込んで来たモノ・現象である。しかし、2月24日の大喪の日には「吾身 既に遠く 良き世を 願い奉る」と告げて来たので、時間とは、螺旋構造に成っていて、過去の世界への近道が有る様である。
其れこそが、素数の0点が円周率で現れ、其の点は一直線上に有るとされているが、実の処其の線は、1本線で直線に見えるが、螺旋構造で空間を構成しているのではないだろうか。
だからこそ、日本では、玄間の上に7・5・3の稲藁のシデ「三五七縄・しめなわ」を下げるのであろう。其の様に考えると、玄間とは玄武を迎える門の意味が有るのかも知れない。其れに、「ヴィシュヌ神」の乗り物は、「ガルダー」で「鳥の王」だから鳥居とも関係が有る。
今朝の映像には、私が直接、魚屋に電話して「直会・なおらい」の魚を注文した。処が、其の直会には魚を食べる人の参加が少なく、私も現在、魚を食べられないので、断りに行くと、既に大きな鯛や石鯛が数匹2枚におろされていて、調理済みなので買わなければ成らない様に成っていた。私が値段を訊くと「5万円」との事であった。私は結局自分で自腹を切る事に成ったのである。
其の映像の意味を考えると、日本では、神様には必ず鯛などの魚をお供えするが、是からは世界中から人々が参加するので、魚は其れ程、大量には必要ないと言う事であろう。其れに、集まって来る神霊も、生臭いのは嫌がるのかも知れない。
其れを考えると、是からの新嘗祭には、やはり玄米が大事であり、祇園精舎のルールである精進料理が、合っているとの理・ことではないだろうか。其の様に考えると、今朝役所の会議で出されていたテーマは、「桜沢如一」が世界に広げた「マクロビオティック・Macrobiotic」の世界の体験者を、役所に入れるかどうかに有ったのかも知れない。
其れは、人の上に立つ指導者は、「食育」の原理を知っている「玄人・くろうと」でなければ成らないと言う事に成る。
「桜沢如一の霊魂」http://green.ap.teacup.com/20060818/126.html
「御饌殿・みけどの」http://green.ap.teacup.com/20060818/1103.html
と言う事は、やはり「食国の政・おすくにのまつりごと」には、無精白の穀物が必要であると言う理・ことであろう。何故なら、玄米や無精白の穀物には、松果体の元である「糠(珪素・シリコン)」が、多量に含まれているからである。
其れ等の事柄を考えると、「イエスキリスト」が謂った「一緒に食事をしなさい」との意味や、日本の「同じ釜の飯を食った仲」との言葉は、「直会い」の概念が元に有り、世界共通の「政・まつりごと」なのかも知れない。
今朝のメッセージの映像の中では、私は会議を覗いている時に裸だったので、町長の前に出て行く時に、傍に掛けて有った上着とズボンを身に着けて出て行った。そして、事務所に帰って名刺を探して居ると、事務所の中に女性事務員が入って来て「キャーツ」と叫ぶので、私は慌てて金庫の中に身を隠した。
何故、1昨日の映像には、星野智子が裸で電子版で宇宙の説明をしており、今朝は私の方が素っ裸であったのだろうか。其れは、明日の新嘗祭に向けての、禊ぎ払いの意味も有るのかも知れないが、良く考えて見れば、旧約聖書に出て来る「アダム」と「イブ」は、林檎の実を食べて自我意識が生まれる迄は、2人とも素っ裸である。
其れを考えると、星野智子と私は、神の世界である「エデンの園」に、復帰している事に成るのではないだろうか。
そして、其の「エデンの園」こそ、仏教で言う処の「祇園精舎」であると言う事に成るのではないだろうか。だとすれば、やはり、私は屋久島に止まって「祇園精舎・エデンの園」を、完成させなければならないと言う事に成る。
「ルーアンの道」http://star.ap.teacup.com/2007313/427.html
ブログには、何処にも書かなかったが、1昨日は「あんまり無理しないで 長丁場なのだから」と告げられた。其れで、少しゆっくり出来る心算であったのだが、2日連続で多数のテーマが告げられて来た。忙しく成るからこそ、「あんまり無理しないで」と告げて来たのであろう。其れは、神の何時もの手法である。何処まで、此の作業が続くのか見通しが効かない。
今日は、先ほど、村造りのオーナーから電話が有り、次の段取りを頼まれてしまった。そして、其の後に、弟から電話が掛かり、私の長男に、昨日男子が誕生した事を知らせて来た。是で、私は未だ一度も顔を見た事は無いが、孫が三人出来た事に成る。
ビジョンの中では、素っ裸に成っても、まだまだ現実世界では、色々な事柄が起きて来る。
平成21年11月21日
礒邉自適

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