2007/4/1
内 閣 府
19・4・1
昨日、高平の事務所より自宅に向かって車を運転していると、原集落の益救神社(やくじんじゃ)の門前手前で、右手の中指が急にビリビリと反応を始めたので、是は御呼びがかかったなと想い、参道の方にハンドルを切って曲がった。
そして、赤い鳥居を潜り、駐車場に車を止めて時刻を見ると6時6分である。
私は、時刻が意味有り気だなと想いながら車を降りて、社の方への階段を上って入った。
もう、時刻が時刻で、雨が降り出しそうな雲行きなので、木が繁っている参道は薄暗く成っている。
私は、社に着き、鈴が着いている綱を揺すって鐘を鳴らし、二礼して拍手を打ち頭を垂れた。
しかし、何もお告げらしきものが無い。何時もは、此の神社に立ち寄ると、何か云って来るので、今日は呼ばれて立ち寄ったのだから、特別な知らせが有るのかと想ったのだが、何も無いのである。
私は、おかしいなと想いながら、自分の意識を確かめると、何か大きな自信と言うか、確信みたいな感情が内側に納まっているのを感じた。
其れはもう、私の中に、此の神社の祭神が住み込んでおり、お社自体には霊魂が止まってはいないと言うことだろうか。
私は、何もお告げは無いので、フラッシユを焚いて何枚か写真を撮り、其の侭車を運転して自宅に帰って来た。
其の事に関係が有るのかどうかは分からないが、今朝のメッセージは「内閣府」との言葉が一言有った。
朝、広辞苑で「内閣府」を調べると「内閣府」との単語は無く「内閣」が有る。「内閣」とは、
@ 明・清代(15〜18世紀)の国政最高の機関。明初、中書省を廃し宰相を廃したので、代わって翰林院から才識の士をえらんで大学士とし、機密に参与させて内閣と称したのに始まる。のち六部の尚書より選ばれ、権威が高まった。清代には軍機処に実権を奪われた。
A 日本の行政権を相当する最高の機関。首相たる内閣総理大臣およびその他の国務大臣で組織する合議体。1885年(明治18)太政官制を廃して設置。明治憲法下では国務各大臣は天皇を輔弼(ほひつ)するにすぎなかったが、日本国憲法では行政権が内閣に属する点で根本的な変革があった。内閣がその職権を行うには閣議による。
とあり「府・ふ」は、
@ くら。特に、宮廷の文書・財貨を納める所。「府庫・秘府」
A 役人が事務を執る所。役所。「国府・政府・幕府」
B 事物や人の多く集まる所。みやこ。転じて物事の中心。「学術のー」「首府」 ・・・・・
E 国の行政機関の一。実質上は省と同じ。総理府の類。
と、載っているので、昨日の益救神社(やくじんじゃ)の出来事と、今朝のメッセージを関連付けて考えれば、新しい形の内閣府を創れとの指示であるように想われる。
益救神社(やくじんじゃ)の祭神は「彦火火出見尊・ひこほほでみのみこと」で、神話の「山幸彦・やまさちひこ」の事である。父親は「ににぎのみこと」で、母親は「このはなさくやひめ」である。
そして「ひこほほでみ」の子が「ふきあえず」で、その子供の5男(末子)が神武天皇だから、「ひこほほでみ」は神武天皇の祖父に当たるのである。
今朝のメッセージの発信元が、「ひこほほでみ」の意識であれば、神武天皇の御祖父さんの言葉が届いた事に成るのである。そうであれば、神武天皇の政治よりも、更に遡った次元から政・まつりごとを考えなければ成らない事に成ってくる。
其れが、中国の明国や清国の代であり、其の政治の流れの元が、秦の始皇帝の意識に有るのなら、始皇帝の意識が墓から蘇って来た事に成る。
新約聖書のイエスの言葉にも、「其のときには 全ての死人が墓から蘇る。」とある。其れが、現実のモノとして、私に御霊の思頼として起きたのであれば、其の事は未だ進行中である事に成り、私は未だ其の働きの中に居る事に成る。
今日は、4月1日で年度の始まりであり、明後日4月3日は神武天皇の命日で、神武天皇祭の行われる日である。私は、平成2年・3年と、続けて阿蘇の日宮幣立神宮で、神武天皇祭をどれみ村の天波博文氏らと行った事がある。今日のメッセージは、其の神武天皇の時代より、更に遡って政・まつりごとを行えと言う事だろうか。
昨日、神社に着いた時刻が6時6分だったのも、少し気に成る。其れが、6時6分6秒であれば、666の開始と成るのである。
日本のまつりごとは、666年のサイクルで起きて来ている。其れは、神武天皇BG666年、宗神天皇0年、天智天皇666年、後醍醐天皇1333年と、666年周期で日本のまつり事は是まで起きて来ているからである。
其れに合わせて考えれば、今回は1333年+666年で、1999年が其のサイクルだったのだが、其の動きは未だ目に見える形では現われては来ていない。
今朝のメッセージは、其の事を興せとの事であろうか。今年は、神武暦では皇紀2667年である。其の数字に事象が設定されているのなら、今日から新しき流れが始まる事に成るのかも知れない。
昨日は、日高屋久町町長の奥さんより電話が有り、4月29日に、宮之浦の益救神社で行われる大祭に参加したいので、私の車に乗せて行ってくれと云って来た。
日高町長の奥さんは、原の出身で、原の御岳であるモッチョモ岳に登山した時に、山の神様に遭遇して、其れから熱心な神様信仰者に成っている。
昨日の町長夫人の電話といい、原の益救神社の件といい、今朝の「内閣府」のメッセージといい何か新しき神の動きが始まっている感じがする。
私は、今月6日に島を出て行き、天波博文氏の動きと合流する予定であるが、帰りの日にちを未だ決めていなかった。昨日の、町長夫人の動きに合わすのであれば、4月28日には島に帰って居なければ成らない。
是で、4月の動きは大筋のところでは決まって来た様である。中の日程は、既に神様の都合で決められているのであろう。
平成19年4月1日
礒 邉 自 適
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投稿者:麻凪
はじめまして。
思うところあり、礒邉さんのHPにたどり着きました。先日初めて、伊勢神宮にお参りに行ってきました。その間、ずっと、「屋久島に行きなさい」というような感じが付きまとっており、昨日帰宅後から屋久島と伊勢神宮のつながりを調べたりしていました。現在、私は、東京巣鴨で主人と治療院を経営しながら、個人では占いの仕事を15年続けています。屋久島は以前から、気になっておりましたが、気楽に行く気になれず、時期を待っていた感があります。今回、磯邉さんのHPを見させていただき、秋までには行きたいと思いました。
ご縁がありましたら、ご指導をお願いいたします。