2008/7/5
結びとは
20・7・5
先月「7月5日」との日付けを告げられて来ており、今日何が起きるのかと考えていたら、どうやら、神の世界の真実が示されて来た様である。其れは、神の世界の「結び」の意味に付いてである。
昨夜は、PCに向かって居て眠く成って来たので、10時過ぎには宿舎に帰って、シャワーを浴びてベッドに横たわったのだがなかなか眠れなかった。そうして居ると、目蓋に映像が映り始めた。其の映像は、山の方から7色に輝くスマートな7人の人々の姿が下って来て、丘の上から麓の平野に広がる人間社会を見下ろして居た。そして其の場面が終わり、今度は水道の水源地のタンクに水が一杯に成って、排水パイプの管から水が溢れ出す映像が映りだされて来た。其の場面を見てから、私は眠りに入った様である。
そして見たビジョンは、私は新しく準備された建物に着いたのだが、其の建物は鉄筋コンクリートの建物で、丈夫な基礎の上に建てられているのだが、未だ壁も無く、屋根も完全に繋がっていないので、雨が吹き込み、ベッドを置く事も出来ないので、生活が出来ないから、其の建物を出て、山の方向への道を進んだ。其の道の辺りには、1人の若い女性がパンティ1枚で隠れて居た。どうやら其の女性は、生活に必要な物が届くのを、今か今かと待っている様子であった。
そして、其の様子を観ている私の意識は、透明なカプセルの様な物の中に在って、空中に浮かんでいるのである。そして、私の意識は単独ではなく、女性の魂しいと一心同体の様にくっ付いているのである。其の女性は私の右肩の所に顔が在った。私の意識は、其の女性の意識と一体のまま、空中に浮かんで方々の視察を始めたのである。そして、道を進んで行くと、何も植物の生えていない砂漠の様な所に着いた。其処には、一切の人工物も無く、水も無いので、植物どころか、生命が一切無い無味乾燥の世界なのである。其れは、火星の地表の様な、生命の存在しない世界の様であった。
私の意識は、その場を離れ引き返し始めた。そして、地球の環境の様な所まで引き返して来たが、其処に有る物は、全てピカソの絵の様に各部位がバラバラに成っていて、物の様相を呈していないのである。其の様子を観て、私の意識は、「神」とは全ての物を繋ぎ合わせている、結びの力である理を悟った処で、今朝のメッセージは終わった。
私は、今朝のビジョンで、何故、日本の神社には注連縄が飾られており、「結び」との言葉が有るのかが理解できて来た。其れは、釈迦牟尼佛が謂う処の、此の世は全て「縁・えん」で出来ているとの言葉の意味する処と、同じなのであろう。其れに、インドの「ヨーガ」の言葉の意味も、「神・宇宙」と結ばれるとの意味であり、英語の宗教の意味である「リリジョン・religionも「再び神と結ばれる」の意味であるらしいから、世界の神の概念は、皆「結び」の概念に行き着く事が理解できる。その理・ことを理解すると、ピカソが何故、ゲルニカ等の絵で、物ごとがバラバラで不調和を起している絵画を描いたのかが、初めて私にも理解出来そうな気がして来た。ピカソは、其の、神の結びの世界を覗き見たのかもしれないのである。
今朝は、文章を書き始める前に、茨城の森山さんから電話が有り、今朝見たビジョンを知らせて来た。其れは、自分の意識が、山の上のトラックの横に在って、鹿か、ガゼルの様に、ピョンピョン飛び回りながら、荷物が届かないと跳ねて居たと言うのである。そして下の方を見ると、オブラートに包まれている様に、二人の男女がピタッと寄り添って、世間を見下ろしている後ろ姿が見えたとの事である。其のオブラートに包まれて寄り添って居た男女の姿は、今朝の私の意識が男女のペアーでカプセルの中に在った事と繋がっている。
今朝の私のビジョンと、森山さんのビジョンは、同じ神の縁の元に有るのではないだろうか。私の意識は、人間の暮らしを視て廻っており、森山さんの意識は、山の上の「鹿神・シシガミ」として麓の人間の男女の二神を見下ろして居るのである。今朝の映像は、まるで宮崎駿監督の「もののけ姫」の映画の物語の様である。
其れに、今朝は、私のブログの「みたまのふゆ」に、鎌倉の45歳の男性から長いコメントが有り、其の内容は私にとっても神秘的なものである。其の1部には「・・・それは、無数の七色の水玉が 糸のようなものに連なり 上下に流れている。それが 幾本も並べられている。その流れは、自分では制御することは出来ず、時計よりも正確なものだ。・・・」と有る。其のビジョンは、私が此の世界に入り込んだ時に、水を7回数えて飲まされた事にも関係が有り、光と水の世界には、未だ人間の知識では計り知れ無い神秘が秘められている事を示している。其れは、チベットの「如意宝珠」や日本の「玉串」に関係有る世界である。
我々の役割は、アメリカ映画の「マトリックス」の物語の様に、ネオ(新人類)として神の神秘の情報を読み解く為に、数学的な情報の中に、シナプスの軸索を伸ばして行く必要が有るのだろう。其の旅人には、新しい質量が与えられ、三次元世界に新しい舞台が用意されると言う事である。どうやら、其の世界が、今日から始まった様である。
其れは、如何なる過去の情報にも、目を触れてはいけないと言う事であり、未来を創造する者だけに、物(弁財天の力)が与えられるとの事であろう。其れは、男性の働きは創造性に有るとの事だから、芸術の力を持った者に、弁財天が寄り添う事に成るとの事である。
其れは、是まで、生産の神として、水田の水口に男女のペアーの神様が「田の神」として祭られていたが、是からは、自然物の生産の神を祭るのではなく、人間自身の創造力の世界である芸術界に、男女の神が祭られる必要があるとの事かもしれない。
此処数日の、森山さんと私のビジョンの符合性を考えると、6月19日に2人で球石を納めた、祇園様を祭る大山神社の事が思い浮かぶ。祇園様とは素戔鳴尊の事であり、素戔鳴尊とペアーの女神は櫛稲田姫である。今朝のペアーの神霊が、其の2人であるのなら、確かに稲田の神が創造の神として変化している事に成るだろう。大山神社の祭典は、年1回、7月15日の夕方から行われる。其の日は、10日後に迫って来ている。私は其の大山神社の祭典には、未だ一度も参加をしていない。今年は、初めて其の祭典に参加して見ようと考えている。私は、出雲の素戔鳴尊と櫛稲田姫関係の神社には殆んど参詣しているので、何等かの応答が起きるかもしれない。
今朝の森山さんのメッセージと、私のメッセージから考えられる事は、成るべく早く、新しい世の中の構築に動き出さなければ成らないとの事であろう。其れを遣らなければ、経済は急速に失速して行き、我々が行うべき事も、経済が伴わなく成り、不可能と成るとの事かもしれない。
昨夜の映像には、水源地の水はタンクからオーバーし始めていたし、岡の上からは、7人の7色に輝く姿をした神人が世間を見下ろして居た。其れは、ヒマラヤに待機していた7人の神が、地上に降りるとの意味ではないだろうか。
明後日は七夕であり、2日のメッセージには銀河の星雲が映し出され、花火が打ち上がる映像も見せられている。其れ等の事柄を考えると、新しい経済を興す事が要求されているのかもしれない。いよいよ、私の得意な商業手腕が生かされる時が来たのであろうか。私は、此の世界に入るまでは、地元の銀行で1番信用され、期待されていた事業家である。だから事業を始めて良いのなら、一気に事を興せる自信はある。
24(12+12)年間も「神霊の思頼・みたまのふゆ」で、自分の身心を拘束され、まるで見えない鉄格子の牢に閉じ込められている様な感じであった。是から、自由に事業を始めて良いのなら、水を得た魚の様に動き廻れるであろう。昨日、今月末に御岳氏と壬生氏が打ち合わせに遣って来るとの連絡が有った。いよいよ、私の実力発揮と言う事であろうか。心強い事に、私には一心同体で、「櫛稲田姫」か「弁財天」が付いていてくれるのである。
いよいよ、日本から新しき結びの世界が始まるのである。其れは7・5・3の奇数の世界である。日本人は頭が良いので、割り切れる偶数では、退屈するのである。其の日本人のシナプスが興奮して、アドレナリンを分泌する情報発信を、9月15日までに行わなければ成らないのであろう。8月5日には、三重県から8人の来訪の連絡が今日有った。其れ等の事も、新しい結びの現われの一環なのであろう。結びとは、経世済民に直接繋がりの有る世界なのである。
平成20年7月5日14時41分(1441)
礒 邉 自 適
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