富氏の伝承 投稿者:りんご 投稿日:2006/09/07(Thu) 16:30 No.3211
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[2978] フナド、クナド、クノト「の」 投稿者:kihitsu 投稿日:2006/06/28(Wed) 20:48)
仕事中、とつぜん「フナド」の言葉が飛び込み、消そうとするのですが消えず、仕方がないのでメモを取ろうかなと思いつつ、ふなどの神→クナドの神→クノトの神などと音のイメージが変化していきました。<<
-出雲族の渡来-
出雲大国主命の家系を継いできた富氏の語りによれば、原出雲族は紀元前2,500年頃大祖先であるクナトの神に引き連れられて出雲の地に着いた。
原住民に鉄、製布、農耕等を教えた。
出雲の地の王となった。
大移動途中、信濃に建御名方命、大和に登美族などの出雲族の分家が出来ていった。
それぞれが土着の民人と融合し、地方の支配者となっていった。
各地の大国主命の誕生である。
http://72.14.209.104/search?q=cache:wF_Xu4dKRsUJ:www.kamnavi.net/it/history.htm+%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%88%E3%81%AE%E7%A5%9E&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1
-出雲神族と東北・九州-
富氏の伝承では、出雲神族は東北から出雲へ西下したという。
(中略)
吉田大洋『謎の弁才天女』によれば、富當雄(とみ まさお)さんが亡くなる数日前、“我々の大祖先はクナトの大首長(おおかみ・岐神)だが、もう一つ隠された女首長にアラハバキ(荒吐神)があり、体制側によってこれらが抹殺されようとしたとき、クナトは地蔵に、アラハバキは弁才天へと変身した。”と言い遺していったという。
伯耆大山では根深い地蔵信仰がみられるが、これはもともとがクナトノ大神を祀る山だったからかもしれないわけである。
同書によれば、倶知安のアイヌの酋長菊池俊一夫妻の言葉として、アイヌの古語でクナトは男根、アラハバキは女陰の意味で、本来一対のものだったという。
また、吉田大洋『竜神よ、我に来たれ!』によると、竜神信仰を禁じられた出雲神族は弁才天と不動明王を裏信仰としたが、特に弁才天を選んだのは古くから出雲系宗像三神のイチキシマ姫と同体視されていたからだともいう。
http://72.14.209.104/search?q=cache:eNRCFC_oDcQJ:hw001.gate01.com/sangatu/izumosinzoku.htm+%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%88%E3%81%AE%E5%A4%A7%E9%A6%96%E9%95%B7&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1
−出雲神族はなぜ土着民に歓迎されたのか-
シュメール系海洋民族であった出雲神族は、日本に渡来すると、土着民たちに さまざまな文化や技術を伝え、生活の向上をもたらした。
そうすることによって、人々は自然に出雲神族を崇敬し、その神を祀るようになった。
出雲神族の祖神は、クナトの大神である。
そして出雲神族の神裔たちには、オオクニヌシやコトシロヌシ、ホアカリなどがいた。
ホアカリは、サンカの間ではホアケと呼ばれ、祖神として崇められている。
また、賀茂氏や三輪氏らも、出雲神族の流れを汲む末裔の氏族である。
出雲神族の渡来よりもずっと後年になって、ニギハヤヒを祖神とする海洋系の部族集団が入ってきた。
すなわち物部氏の祖先たちである。
彼らは銅や鉄を扱い、新しい技術や祭祀形態などをもたらした。
出雲神族同様、彼らは人々の暮らしを高めることに貢献したために、大いに崇敬を集めたことと思われる。
物部氏がシュメール系であったかどうかは定かではない。
富氏の伝承による出雲神族の系譜の中には入っていないところをみると、別系統の種族ということになるのかもしれない。
しかし、海洋系の部族であったことは間違いなく、ことによるとルーツを同じくしていたのではないかとも思われる。
なぜ、彼らが土着の原日本人たちの信頼を得、長として君臨し、王朝を築くことができたのか。
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まず第一に、彼らは渡来系であったとはいえ、原日本人と人種的にさほどかけ離れた種族ではなかったのではないか、ということ。
つまり、容姿や言語習俗などの点で、それほど違和感を与えるものではなかったのではないか。
もっとハッキリいえば、もともとは同じ日本人だったのではないか、ということである。
筆者は拙著のなかで、天孫族を含む渡来系民族とは、先史時代から巨石文化時代(縄文時代)にかけて日本列島内に先進文化を築いていた原日本人(縄文人)が、やがて陸路もしくは海路を西に取り、中近東に入っていき、メソポタミアなどさまざまな文化的研鑽を積んだのち、アッシリアなどに追われて帰って来たという「里帰り民族」説を呈示したが、もし同じ日本人であったとするならば、土着の原日本人たちから さほどの違和感なく迎えられたであろうことは容易に想像できる。
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第二に、祭祀や信仰が生活の中心であった古代において、その形態が それまでのものと さほどかけ離れたものではなかったために、すんなりと受け入れられたのではないか、ということ。
つまり、出雲神族は竜蛇族であったわけだが、彼らが渡来する以前からすでに日本には竜や蛇を崇拝対象とする習俗があったのではないか。
というより、竜蛇族のほんとうの故郷とは、そもそも日本だったのではないのだろうか。
シュメール人(Sumerians)は、民族系統不明といわれている。
背丈の低い、浅黒い黄色人種であったということだが、縄文時代に日本列島を発って 長い長い旅に出た日本人だったとすれば、たやすく納得いくのではあるまいか。
「シュメール」という言葉が転化して「スメラ」になったという説もある。
しかし、それはむしろ逆で、「スメラ」という語から「シュメール」になったのではないか。
「スメラ」とはもちろん、「スメラミコト(天皇)」の「スメラ」である。
そう考えると、彼らの出自は 日本の皇族であり、正統なる天孫族であったということになる。
シュメール人が竜蛇族であったというより、日本そのものが竜(蛇)の国だったのである。
その竜神大国・日本の復活を思わせる霊的異変が、江戸時代末期の頃より起こり始めている。 (中矢伸一著『封印された日本建国の秘密』P.214より)
-出雲の本当の神クナトの正体-
クナト神の名は、エジプトのアテン神信仰を始めたイクナートン王の名の「イーン」を省略した「クナト」である。
http://www.geocities.jp/zuisoukai/izumokunato.htm
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[3067へのレス] Re: コブラとハゲタカ 投稿者:りんご 投稿日:2006/07/22(Sat) 16:01
“ツタンカーテン”の時代、信仰した、アテン神
http://www.roy.hi-ho.ne.jp/mizuchi/Egypt/kamigami/aten.htm
http://72.14.203.104/search?q=cache:8gU4aDTJOSkJ:http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/egypt1/diary-004.htm+%A5%A2%A5%C6%A5%F3%BF%C0&lr=lang_ja&hl=ja&ie=EUC-JP&output=html&client=nttx
発見当時、アンテセナーメン(后)が彼のミイラに添えた矢車菊は黄金に輝く財宝よりも美しかったという
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3++%E7%9F%A2%E8%BB%8A%E8%8F%8A&ei=UTF-8&meta=vc%3D&fl=0&fr=top_v2&u=www.atomictaro.com/imode/egypt/i-egypt6.htm&w=%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3+%E7%9F%A2%E8%BB%8A%E8%8F%8A&d=PW2UtmP9NIiO&icp=1&.intl=jp
矢車菊
http://ohta-sap-web.hp.infoseek.co.jp/03Yagurumagiku-2.html <<
-クナトノカミ 神代文字碑-
http://azumino.zato.nu/dosojin/monodisp.php?id=219
此の国マナコHP より
http://kihitsu.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/joyful/joyful.cgi

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