奥出雲
奥出雲は、国津神の櫛稲田姫と 天津神のスサノオの尊が結ばれた地であり、
イソタケルの尊が活躍した地でもあります。
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2008/10/16
「幸福と言う意味」
出雲物語
幸福と言う意味
20・10・16
昨日は、全国至る所で秋祭りが行われ、人々はお祭り気分に浸ったであろう。屋久島でも、昨夜「やくしま森まつり」とのイベントが宮之浦であったが、今年で3回目になる其の祭りも私には他人事である。
昨日は、小瀬田の柴鉄生氏の事務所での、NPO法人「緑の風」の打ち合わせが済んでから、宮之浦に有る自然食店の「みみ商会」に、買い物に向かって車を運転して走って居ると、楠川集落の入り口の城川の橋の手前で、突然左手の親指にビリビリと強いカモ(神の電気信号)が来た。
私は何だろうと想い、車をUターンして其方に向うと、今まで気にした事の無い遺跡が有った。其の前で車を止めて、其の遺跡を見ると「源平古墳御霊供養塔」と書いて有る石碑が建立されている。其処には、立派な石組みの 地・水・火・風・空 の「法界萬霊塔」が有ったが、其の、云われに付いての説明書きが無いので、其の理由は良く解からないが、源平合戦に関係が有るのだろう。
今朝のメッセージは、昨日の其の霊的なカモ(神の電気信号)に関係が有り、男同士の戦いに拠って残されている、怨念に関係有りそうなビジョンが映されて来た。
其れは、町の公民館の様な建物の体育館の様な広い空間で、子供達が遊んで居た。私が其の子供達の顔を見ると、私の財産を盗んだり、私に迷惑を掛けた人達の子供が、何人も混ざっているのである。私は、其の子供達に、其の事実を伝えて良いものかどうかを迷って居た。
そして横を見ると、白い衝立の様な物が有り、其の衝立は太鼓の様に皮が張られた物で、側に棒が2本有ったので、私は其の棒で衝立を太鼓の様に叩いて、リズムをとり始めた。すると、女性が1人現れて、其の衝立に古い布を掛けてしまったので、叩いても音が出なく成ってしまったのである。
今朝の映像は、其れだけしか無かったので、特別な意味が含まれているのだと想われる。其の、映像の意味を考えながら事務所に出て来て、パソコンの前に座ると、女神からのメッセージで「栄養が足りない」と告げられて来たので、其れを「命を捜せと云った人の名は」のブログにアップした。
http://moon.ap.teacup.com/20060103/216.html
其の、今朝の女神のメッセージの内容からすると、私の代で、過去の怨念を晴らせとの事の様である。何故、そう想うかと謂うと、今朝のメッセージの内容と、昨日の「源平合戦御霊供養塔」での現象との共通点が、其処に有るからである。
源平合戦とは、源氏の頭領「源義朝・みなもとのよしとも」の子供である「源頼朝・よりとも」と「源義経・よしつね」が生き残った為に、兄弟で力を合わせ、親の仇である平家を滅ぼした出来事である。何故、頼朝は徹底的に平家の生き残りを追い詰めたかと言うと、自分が生き残った為に、親の仇である平家を滅ぼす事が出来たので、もし平家の血筋の人間が生き残れば、また源氏一族が危機を迎える恐れが有るので、其の要因を一掃する為に、平家の血筋が1人も残らない様に、徹底的に排除しようとしたのである。
其の出来事と、今朝のメッセージの内容を組み合すと、私が、自分の子供等に、一家離散の原因がI氏等に有る事を伝えれば、私の子供達は、其の人達の子供が裕福に生活して居る事を恨むであろうし、其のI氏等の子供も一生暗い気持ちに成るであろう。そうなれば、其の波動は、源平合戦の怨念と相乗効果を起して、また怨念の暗い世界を発生する事に成ってしまうとの事ではないだろうか。
もし、其の様に成れば、新しく言霊の波動を発生させる為に用意された、白い白板(衝立・太鼓)に、古い被いが掛けられてしまい、未来への波動(情報)を発進出来ないとの理・ことかもしれない。そうなれば、2666年(666×4サイクル)掛かった神(みたましろ)の発露が、また不発に終るとの事ではないだろうか。
其の様に考えると、私の気持ちと謂うか、脳味噌の使い方は非常に難しいモノが有り、神の働きを「御陵威・トランス」する事が、如何に困難であるのかが見えて来る。其れを考えると、其れ等の技術や作法は天皇家か、宮内庁や神社庁に伝えられているはずである。しかし何故、此の事が、其方で起こらないで、私の身の回りに起きて来たのであろうか。
今朝は、今朝の女神のメッセージに有った様に、事務所に安房の「日高雲平氏」が遣って来て、是からの事に付いて話して居ると、其処に大山祇神の祭主をして居る「大山邦博氏」が遣って来て、3人で是からの神事に付いて話が始まった。私は、其の現象は、今朝の女神のメッセージが、早速現れて来たものと想い、2人に今朝の女神のメッセージをコピーして渡した。
其れ等の事は、私が存在しなければ、此の三次元世界には起こらない事である。其れを考えると、確実に、私の周りに何かが始まっている事は、間違い無い様である。
私は昨日、メッセージを書いてブログにアップしてから、午後NPO法人[緑の風]のシンポジウムの計画に関わり、次は宮之浦に買い物に行く途中で石碑の霊魂に捕まり、其の原因を考えたりしながら、新しい村造りの為の準備の段取りに電話を方々に掛けている。其の私の時間割りは、分刻みで動いている。今朝も、此の文章を打ちながら、今日と、明日の段取りの電話を、色々遣り取りして居るのである。
私が、グッスリと休んで居るのは、毎日3時間程しか無い。夜ベッドで目を閉じると、ビジョンが現れるし、夜明け前から映像が送られて来るので、其れを記憶して文章に打たなければ成らない。だから、今年の3月17日からは、殆んど休みらしき日は無いのである。此の3年間で、相当目も悪く成った。其れは、毎日12時間以上も、PC画面から目を外していないからである。
私は、出来るだけ早く、此の作業を完了したいと想い、毎日PCに向かい合って来た。しかし、まだまだ此の作業には終わりが見えないのである。終わりが来るどころか、益々人々の私への依存度が高まりつつある。
其れ等の事を考えると、人材を集めて遣るべき事を分散しなければ、私1人ではどうにもならなく成るであろう。だからこそ、今朝の女神のメッセージが有ったのではないだろうか。其れを考えると、私の自覚と言うか、目線を何処に向けたら良いのかが、おぼろげに見えて来る様な気がしないでもない。其れは、自分の事に関する過去の思い出を、全て消去して、未来の事だけに意識を集中させる必要が有るとの事ではないだろうか。
其れこそが、禊ぎ祓いの意味であり、スメラミコトの働きの真髄であるのではないだろうか。其れは、卑弥呼の存在と、古代のスミラ命の働き等が、如何なモノであったかの事も、再認識されるものであるし、私の師が、私に求めていた事が、何であったのかも理解されて来るものである。
今日のメッセージに拠ると、是から何が始まるのかは、天任せでは駄目であり、此の今を生きる我々人間が、健全な意志を持って行動しなければ、未来世界は存在しない事を明らかにして来ている。其の、天の意志に適った事を、言葉にして民に知らしめる役割が「スメラノミコト」である。今朝は、其の自覚が無い私に、其の理を気付かせる為に、私が好きではない映像を送り着けて来たのであろう。
考えて見れば、是だけの内容を、皇室に生まれ育った人や、何1つ不自由する事無く育った人に、送り着け様としても、其の物達はキャパが少ないので、情報(天の意志)を受信する力(能力)は無であろう。だから、私にとことん難儀をさせて、受身体として鍛えて来たのである。其の事を考えると、釈迦牟尼佛の謂う「人生は苦である」との言葉も良く理解されて来る。
其の事を考えると、漢字の「幸福」との字義が何を意味しているのか、定かではなく成って来る。漢字の「幸・コウ」は手錠の象形であり、手錠が掛かって居る状態が「執着」の「執・シュウ」である。そして「幸」とは手錠が掛かっていない状態で自由の意味である。だから、其の概念は「幸」の漢字が創られた時に、奴隷が多かった事を意味しているのである。其の意味では、釈迦牟尼佛やイエス-キリストや、老子や一休さん等は自由に生きたのだから「幸」で在った事に成る。
其れと「福」は「示+富」の組み合わせで、神の祭壇に御供えする御酒が甕一杯に入っているとの意味で、経済的に豊であるとの意味である。
だから「幸福」とは、権力から自由の身であり、神に捧げ物を澤山用意出来るだけ、経済的にも豊であるとの意味である。其の意味を考えると、古代の聖者は「幸」ではあっても「福」ではないと言う事に成るのである。しかし、聖者とは、神に祝福される者であって、神に貢物をする立場ではないのである。だから、聖者や、霞を食って生きて居る仙人には、「福」の言葉は関係無いのである。
其の様に考えると、私も、其の世界に近付いている事に成るのだろう。しかし、私には4800体もの「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きて来たので、余計な付録付きの人生であったと言う事に成る。其の事からも自由に成った時が、私の真の「幸」のトキであろう。しかし、今朝の状況からは、其の時は未だ先に成りそうである。
日本語の「しあわせ」とは、「仕合わせ」で、神に「使命・みこともち・御事持ち」を頂いて、其の「仕事・仕えこと」をピッタリと合わす事にある。其の意味では、私は「幸・しあわせ」であると謂う事に成るのではないだろうか。
今日は、午後の最終便で村造りのオーナーが来島して、夜6名で会合が有り、明日は朝から現場の視察や契約が行われる。私は18日までは、其の為に事務所には帰って来ない。段々と現実的に成って来ると、其の内容や人名を明らかに出来なく成って来る。だから其の全容を把握するには、誰かが未来創造委員会成る物を立ち上げて仲間創りをし、最初の晩餐会を開いて同じ釜の飯を食うしかないと謂う事である。
今日の10月16日の日付は、伊勢神宮の祭りの日であり、1996年10月16日に広島市で開かれた私のセミナーに、出雲から安部忠宏氏が初めて参加して、其の縁で其の日に私が出雲入りして、出雲の神々と遭遇した日である。其れを考えると、麦生地区の大山神社に引っ越して来て、計画を実行すると告げて来ている「素戔鳴尊」の働きは、既に始まっているとの事ではないだろうか。そうであれば、10月は出雲だけが「神有月」であるとの言葉も、私は忘れ去らなくては成らないと謂う事に成るだろう。「此の島に始まる計画」
http://moon.ap.teacup.com/20060615/130.html
平成20年10月16日2時24分
礒 邉 自 適
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投稿者: 礒 邉 自 適
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