2006/1/14
よじろう
18・1・14
鹿児島市の、桜島を対岸に見る天保山公園に「与次郎ヶ浜」との看板が立っている。
私は、屋久島産まれなので其の看板を見てもあまり気にする事は無かった。其れが、昨年6月6日に孔紀氏と繋がり、孔紀氏に「鹿児島から、ヤジロウ・弥次郎が果たせなかった、弥勒の世造り運動が起きる。」と云われ、何の事だか良くわからなかった。しかし、直ぐに悦子さんにその件を伝えると、本のコピーが送られて来た。一応、其れにも目を通したが、是と言う感動も、閃きも起こらなかった。本を読んで判った事は、弥次郎もヤジロウもヤゴロウどんも、皆同じ人物だと言う件と、フランシスコ・ザビエルを日本に連れて来たとの事ぐらいで後の件はあまり興味が起きなかった。
其れが、今年1月8日から男らしい波動の意識が来て、今迄に無い反応を起こし初めている。
1月8日は、平成元年1月7日に昭和天皇が身罷り、其の夜に私の心臓に御霊が飛び込んで来てから18年目と成る日である。昭和天皇の霊魂は、大葬の日の未明に現われて「わがみ すでにとおく よきよを ねがいたてまつる。」と告げて来た。それから丸17年が経過し、今年の1月8日から私の意識が大きく変化して来た。其の原因は、新しい御世の創造に、背の高い御仁が関わって来ているからである。
其れまでの、私の霊夢の世界は、わたしの目線の高さなので、子供は目線の下に在っても、背の高い人の顔は上にあった。処が8日より、他人の顔が私の腹の高さくらいにしか見えないのである。相手の人間の顔が、低い位置にしか見えないのだ。そして、是まで私が言えなかった事を、相手に対して堂々と言ってしまうのである。
私は、身体が小さい為に、虐めに遭ったりして居たので、余り他人が怒り出す様なことは極力言わない様にして来た。だけど、其の背の高い意識が存在する様に成ってから、文章の言葉が前向きに成り、ハッキリ言いたいことを言う様になっている。
其れも、悪い事を正し、革命的な意見を出して来るのである。数年続いた女性の声が、鳴りを潜めた感が有るのも、其の意識が前面に出て来たからだろう。昭和天皇の、良き御世を願うとの希望と、其の者の意識が同調しているのかも知れない。
孔紀氏が、今年の春から行動を起こすと言うのも、彼らの世界に繋がっての事だろう。
私は唯、人類と地球全体の調和が図られ、聖霊達の想いが達成されて霊界が静まり、私も平穏な日常を迎える事が出来ればそれで良いのだ。悠々自適の名も其の為にある。
私の願いを云って良いなら、私の人生の物語を、教育制度の参考にして、新しい教育ソフトを創出して欲しい事である。人間の、本当の目的は、幸福な暮らしと、神との一体感の有る精神構造である。決して、お金や財産に恵まれる事が目的ではない。
それらは、幸福を得る為の二次元的なものである。もう二度と、私の様な被害者が出なくても良い世の中に成って欲しいと想う。その為にも、出来るだけ私の体験を、後の人達に書き残して置きたいと想う。幸いにして、パソコンやインターネットの存在が有る御陰で、イエスや釈迦牟尼佛の様に歩き回らなくても其の作業が出来る。
是からも、私の知らない事は、霊界人や此の世を生きる人達が教えてくれるだろう。
こんな人生に成るとは、夢にも想わなかったが、其れこそが人生の妙であろう。
だからこそ人間は、何回でも此の世に転生して来れるのだ。単純なこの世であれば、直ぐに退屈してしまう。宇宙規模で見れば、無きに等しき地球ではあるが、地球の総てを味わい尽くすのには、何百回でも生まれ変わって来ても良い。其れだけのキャパの有る此の地球である。地球は、宇宙のオアシスであり、生命の舞台でもある。
其の地球に、人間として生まれて来ただけでも、神に感謝しなければならない。何故なら、暇な人こそ地球を味わう時間が有るからである、其れが、神が人を平等に扱っている証拠である。
其の点で言えば、今の私が一番しあわせ・仕合わせの頂点に存在して居ると言えるのかも知れない。
今度は、私の意識の方が先行し、ヤゴロウどんは神妙に訊いて居た様だな・・・・
平成18年1月14日
礒 邉 自 適
やじろうHP
http://www5a.biglobe.ne.jp/~caroline/yagoroudon/
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