2012/11/24

第1講、認知言語学の考え方(1):基本的な認知能力  

「認知言語学入門」籾山洋介より

・はじめに

認知言語学は、言語は人間なら誰しも持っている一般的認知能力cognitive abilityや認知cognitionの営みを反映したものである、と考える。

認知とは、人間が身体を基盤として、頭や心によって行なう営みであり、人間が行なう知的感性的営みである。

ここでは、比較comparison・一般化generalization・関連付け[連合]associationの3つの基本的認知能力を取り上げる。

・比較という認知能力

比較とは、「2つ(以上)の対象について、ある観点から観察・分析することによって、共通点・相違点を明らかにすること」である。

人は日常的に物事を比較している。スーパーのレジに並ぶ時、それぞれの列を比較して短い方に並ぶ。商品を買う際も、値段・品質・量を比較する。

比較するという認知能力は言語の基盤にもなっている。「ゾウは大きい」という文でも、「大きい」と判断する基準が言葉の上では示されていないが、「動物の平均的な大きさ」あるいは「人間の大きさ」が判断の基準になっている。大小・長短・遠近・深浅などみな然り。

とはいえ、比較の基準は相対的である。「このゾウは大きい」「この犬は大きい」「このカブトムシは大きい」と言った場合、三者の絶対的な大きさ(体積・体重など)は異なる。「ゾウ」「犬」「カブトムシ」では、それぞれ大きさを判断する基準が異なる。だから、大小長短などの形容詞を使う際には、何らかの基準を設定し、比較して判断している。

「スイカは丸い」では、モノの形と私たちの持つ「丸い」という語が表す概念とを比較し、両者が合致すれば「丸い」という。

ただし、「丸い」なども相対的基準に基づいて使われることもある。例えば、「丸い顔」と言えば、ボールのように丸いのでく、人間の顔の中では丸い部類に入る、という意味。

1)今日は、八時間も勉強した。
2)今日は、八時間しか勉強しなかった。

この2つの文も客観的事実は同じであるが、それを予定など(五時間あるいは十時間勉強する予定だった)と比較して評価した結果を述べている。

・一般化という認知能力

人間は日常的に(しばしば半ば無意識に)自分の経験を一般化(抽象化abstractionまたはスキーマ化schematization)している。

3)山手線の8時新宿発の電車はとても混んでいる。
4)山手線の通勤時の電車はとても混んでいる。
5)東京の通勤時の電車はとても混んでいる。
6)日本の通勤時の電車はとても混んでいる。

ある人が3)〜6)のように考えたとしたら、それは各々の経験を異なるレベルで一般化したものである。一般化とは、個々の事物の共通点を抽出することである。3)の場合、ある人が何度も「山手線の8時新宿発の電車」を利用していて、事故があったりなかったり、いろんな人と乗り合わせたり、遅延したりしなかったりして、経験ごとに異なる要素は一般化の際には排除されている。

一般化のプロセスは比較を前提とする。一般化の前提として個々の経験・事例を比較するから。

さらに4)、5)、6)へと進むと、より広い範囲の数多くの経験を一般化したものになる。

人は日常的に一般化している。何らかの法則を発見するという科学的営みも一般化である。

「ところ」という多義語を見てみよう。多義語とは、異なる複数の意味を持ち、その複数の意味の間に何らかの関連性があるものいう。

7)私が住んでいるところはまだ緑がかなり残っている。
8)このところ、いい天気が続いている。
9)思うところを率直に述べてください。

7)は空間的範囲であり、8)は時間的範囲であり、9)は思考対象としての抽象的範囲であり、三者に共通するのは、<ある範囲>である。このように、多義語の複数の意味から共通する意味を取り出すのには、一般化という認知の営みが基盤となっている。なお、複数の事例から一般化して取り出した共通点をスキーマschemaという。

もう一つ一般化の例を取り上げる。

10)最近、電車で若い人がお年寄りに席を譲る光景をよく目にする。
11)最近、Aさんに関する妙な噂を耳にする。
12)a 私はこういう食べ物はあまり口にしない。
b そういう汚い言葉を口にしてはいけません。

おおよそ、「目にする」=<見る>、「耳にする」=<聞く>、「口にする」=<言う>である。「目/耳/口」という身体部位と「目/耳/口にする」の意味の関係はといえば、「目」の機能は「見る」ことであり、「耳」の機能は「聞く」ことであり、「口」の機能は「食べる」ことと「話す」ことである。

以上から、<身体部位+にする>の意味は<身体部位の基本的機能を発揮する>となる(ただし、「鼻にする」≠<匂いをかぐ>、「足にする」≠<歩く>)。このような一般化も、「目/耳/口にする」という個々の表現の意味に共通するスキーマとして、<身体部位の基本的機能を発揮する>という意味が抽出できる。

・関連付けという認知能力

人はこの世のさまざまな事物をばらばらに理解するのでなく、何らかの観点から関連付けて理解する。本と書棚といえば、書棚とは本を並べて置くためのものである、など。より一般的には、容器と中身の関係である。筆箱と鉛筆然り、部屋と家具然り。他には、教員と学生ならば「教える・教わる」という関係であり、経営者と社員ならば「雇う・雇われる」という関係である。

言語では、「音(の連続)」と「意味」とが関連付けられている。人がある語を知っているということは、ある音(の連続)とある意味の結び付きを知っていることである。「のぼる」という音の連続と<下から上に移動する>という意味を相互に関連付けて把握しているということである。

人はモノだけでなくコトも関連付けて理解する。「トイレに入る」「排泄する」「手を洗う」という3つのことも、一般にはこの順序で行われると理解する。

さらに、複数の出来事が単に連続することから一歩進んで、それら出来事の間に因果性を見いだすこともある。例えば、「乗っている電車が故障する」と「目的地への到着が遅れる」は連続して起こるが、ここから前者が原因後者が結果であると理解される。また因果関係を見いだすプロセスには一般化が伴う。

さらに、人は因果関係に関する知識に基づいて、あるコトが起きたらその原因を推論・推測する。例えば、待ち合わせ時間に相手が来ず連絡もとれなければ、事故でも起きたかと思う。また、

13)財布が落ちている。

という文があったら、財布が道に存在しているという状況を目にしただけで、誰かが財布を落としたと、見たわけでもないのにそう言うのは、人の推論能力のなせるわざである。

第1講のまとめ

1、認知とは、「人間が(身体を基盤として)頭や心によって行う営み」「人間が行う知的・感性的営み」一般をいう。
2、比較とは、2つ(以上)の対象について、ある観点から観察・分析することによって、共通点・相違点を明らかにすることである。
3、一般化(抽象化・スキーマ化)とは、個々の事物の共通点を抽出することである。
4、人はさまざまな事物を何らかの観点から関連付けて把握する。さらに、複数の出来事間に因果関係を見出だし、因果関係の知識に基づいて推論を行う。
5、比較、一般化、関連付けという基本的認知能力が、言語においても重要な役割を果たす。
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2012/11/17

中国経済「質の転換」は  

中国は1978年からの改革開放政策で、高い成長率という「量の拡大」に注力してきたが、今後は質的転換を図らねばならず、「二つの罠」が待ち構える。

一つは、輸出や公共投資中心から消費など内需に成長の軸足を移さなければ、先進国型の安定成長が得られず、経済不振に陥る「中所得国の罠」。(世界銀行)

もう一つは、計画形時代から引きずる国有企業中心の「国家資本主義」を早期に脱却して民間主導の市場経済に移行しなければ、成長が停滞するという「体制移行の罠」。(北京の清華大学)

この「二つの罠」を回避するには、大衆への抜本的所得再分配の実施、汚職問題の解決、党幹部や地方政府の既得権益を排除して民間の活力を生かすこと、が不可欠である。

2012年11月16日、サンケイより。
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